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(11)彊食自愛
「彊」は「強」の古い形で、「つとめて」とは、健康管理のために、気分で食事したりしなかったりするのではなく、食事内容を考え、きちんと時間を決めて、規則正しい食生活をするということです。
このことからアガペーの愛の実践の基礎作りがされていくことを、皆さんに知っていただきたいと思います。
1.「愛する」ことについて(エペソ5:28〜29)
“そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。”
聖書には、ギリシャ語辞典から「愛」について二つの言葉が使われています。
『agapao』=「私にとって何より大事だ」という主体的な判断と選択を表現する。
意味=愛する、大事にする、大事に思う、尊重する。
感情によって左右されず、意思決定が強く表れ、変えないということです。
『philia』=自然発生的な人情、友情の情である親愛の感情からの愛を表す。
意味=友愛、親愛、〜を友として大事にする。
精神的な感情面が主体となった愛。直感的なもの。
〔聖書において「agapao」は、神が、私たちを愛しておられる「愛」に 使用され、「philia」は、神の愛と人間の愛とを区別するかのように使 われているという特徴がある。〕
この「agapao」が、聖書には愛ということばに合わされて書かれています。そこで「まず人を愛する前に、自分のからだをアガパオしているだろうか。」というところから「愛する」ことを考えてみましょう。
神はパウロを通して、妻への愛し方を「自分のからだのように愛する」と表現しています。あなたは自分のからだをアガパオしていますか。食欲がなくても、意志力を優先させ食事をとるのは、体の健康維持のため、体を弱らせないための決断です。
今日のポイントは、妻を愛する前にまず自分のからだを大事にしているだろうか、ということです。この世界は、五感に頼る考え方が支配しているので、クリスチャンも、感覚的に健康管理をしている可能性が高いのです。人から勧められたり宣伝されたものに片っ端から飛びついていくのは、主体性はなく、フィレオの愛です。管理は強い意志力を働かせて最善を尽くす必要があります。「神様、まだまだ感情的な私をアガパオの愛で自分の健康管理ができるように強くしてください」と、神様への信仰を働かせていくことが大事です。
「愛(アガパオ)を追い求めなさい」とは、まだまだ意志力が弱く決断をもって愛していくことができないからこそ、それを求めていき、もっと良いことに強く決断して実行していきたい、弱いからこそ求めていくということです。
体も同じです。食べ物に限らず、日常生活での時間の使い方を考え、精神的な安定をもたらすものを求めて、体の健全さを追求するように「愛を追い求めなさい」と、私たちに教えてくださっているのではないでしょうか。それは養い育てるということです。ですから食事をとるのも私たちの意志によります。
「意思決定をする・選択をする」というのは、自由意志が与えられている人格者の特徴です。好き嫌いではなく最善を選ぶことができる選択能力のことです。人間は自由意志の中で、愚かなものも優れたものも選べる能力が与えられており、それは愛を追い求めていると同じ性格のものです。愛も、愚かな愛でも優れた愛でも求めることができます。それを選ぶのはあなた、ということです。あなたは、追い求めれば優れた愛を手に入れることができるのです。「愛を追い求めなさい」とは、「もっとすばらしい良い愛を、神が持っておられるほどの愛を身につけましょう」と勧めておられるのではないでしょうか。
「愛は人の徳を建てる」とは、愛する相手のことを思って「良いものを選んでいく」という愛し方であり、相手の成長のために良いものを提供していき、愛するというのがアガパオの愛です。これは自己管理から始めることができ、愛を追い求めるヒントになるのではないでしょうか。
「愛を追い求める」というのは感情的なものではなく、計画的に更に優れた愛へと自分の生活を進めていくことが必要です。妻を愛するにも感情的なものでなく、相手をよく観察し、性格と価値観をよく理解し、どうしたら心傷つくことなく励まし、コミュニケーションを持つことができるだろうかと計画的な準備が必要です。これほど自分を大事に思ってくれていると相手が理解したら、良いコミュニケーションを持つことができるようになります。自己管理ができる人はアガパオの愛をもって妻を愛し、家族を愛し、隣人を愛していくことができます。単にかわいそうだと言って感情的に物を与えるという愛よりも、今与えるべきかどうか判断し、完成品を与えるより「働く、生産する」ことも考えて与えるのがアガパオの愛です。
ボリビアに駐在されている国際飢餓対策機構のスタッフは、仕事の仕方を教えたり、近代建築の土台から教えたりして、生産性のある生活を学ぶこともプログラムの中に含めているそうです。フィレオの愛はあわれみの感情で与えるだけに終わってしまいます。飢餓対策機構は、現地の人々が将来自立し、他の人を助けることができるようになるようにと、隣人愛を実行している団体です。
私たちも、その場限りのあわれみの感情だけでなく、それを計画性のあるアガパオの愛をもって、その人のための愛の注ぎ方を考えることが大切ではないでしょうか。こういう愛を私たちの生活に習慣づけるため、自分の体を愛する自己管理から始めていかれたらいかがでしょうか。
2.『自己管理の大切さ』について(第1コリント6:19)
“あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。”
この体は私のものではなく、神がご自分の霊を住まわせるため買い取ってくださったのです。この体のオーナーは神様です。中古品の私たちの体を、神様は聖霊様が住み良いようにリフォームしてくださったのです。それを今までのように、自分勝手な使い方をするのではなく、買い取ってくださった方が使いやすいように管理することが必要です。自分のためには面倒くさくても、愛する人のためだとその要求に応えていくことを生き甲斐とします。愛する方がおられるからこそ、奥樣方は労苦を惜しまずに料理をされるのです。私たちも、愛する者のためには自己管理をきちんとしていくのではないでしょうか。自分の妻のため、家族のため、何よりも神様のために自己管理、健康管理をするのは、私たちの内に心から尊敬する大事な神の霊(御霊)が住まわれているからです。どうぞ、愛する方のために健康管理をし、自分の生活を少しずつ改善してみられてはいかがでしょうか。自分の益をもたらすために何かを行っていると、むなしくなり、期待を裏切られると怒りに燃えてしまい、関係が悪くなっていきかねません。しかし、アガパオの愛は期待通りのものが返ってこなくても、それによって変わったりしません。何が起ころうとも愛し続けるものです。相手が変化しようと変わらず愛していくのがアガパオの愛であり、その愛によって相手も良くなっていきます。そういう愛を私たちはまず神様からいただきました。そして、その愛を互いに分かち合うようにというのが、神様の唯一の戒めであり、ここから私たちの社会生活が成り立っていくことを神は、聖書を通して願いとして語っておられるのではないでしょうか。
自己管理を通して人を愛していくということを、自分で訓練していかれたらいかがでしょうか。
2010/9/26キリスト教会ジーザスフェローシップ広島
日曜礼拝メッセージ(辻 秀彦 牧師)より
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