「良心」は、「悪」(死んだ行い)と「善」(神に仕える)を判断し、知性と感情と意志をコントロールするものである。
ヘブル9:14
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
1.良心のきよめが大切
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A)第1テモテ1:19
ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。
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ある人たちは、イエスの血によってきよくされた正しい良心をないがしろにしたため、死んだ行いの生活へ戻ってしまい、神と共に歩む永遠のいのちへの人生が壊れ、破壊されてしまいました。
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B)第1テモテ3:9
きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。
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執事の働きをする人とは、神の愛の象徴であるイエスの血によってきよくされた良心の中に、信仰の奥義であるキリストを保持している人でなければなりません。
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2.良心をきよめる「イエスの血」とは?
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A)罪を贖うための代価
第1テモテ2:6
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
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B)血によるきよめと罪の赦しの実現
ヘブル9:22
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
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C)代価に込められた神の愛
第1ヨハネ4:9
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
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【まとめ】
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良心をきよめるイエスの血とは、私たちへの神の深い愛のことです。
神の愛が良心を浄化する力を持っているのです。
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【デボーションポイント】
◎ |
「感慨無量」(かんがいむりょう)になるほどに、神の愛とあわれみを悟れるように。
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★ |
「感慨無量」(かんがいむりょう)の意味
計り知れないほど心に深く感じて、胸がつまること。 |