2017 devotion

主は私の羊飼い(7)

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詩篇23:1
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

★父なる神の導きによって、イエス様のもとに来ることができる(ヨハネ6:44)

★人は、神のことばに導かれて生きる。(マタイ4:4)

【内容ポイント】
 羊飼いは羊の導き手であり、羊は羊飼いの声に導かれる。
 羊飼いの声に従う限り、羊は何一つ欠けることがない。

 

◎デボーションのための聖書箇所

A)詩篇119:49〜52『主はわたしの慰め』

119:49

どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。

119:50

これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。

119:51

高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。

119:52

主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。

◎金持ちとラザロの例え話

ルカ16:19〜31
ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

 金持ちとラザロの違いは?

 

◎イエス様を信じる者が慰められる(=救われる)

第1コリント1:21
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

 イエス様を信じるとは? またその生き方とは?
 

※私たちにとって最大の慰めは、暗闇の世界から救われていること。

 

B)詩篇119:53〜56『主のみことばは私の歌』

119:53

あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕えます。

 *神のための怒り

 *人の肉の怒り

119:54

あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。

 *私の旅の家

 *私の歌

119:55

主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し、また、あなたのみおしえを守っています。

 *夜に思い出す

119:56

これこそ、私のものです。私があなたの戒めを守っているからです。

 *私のもの

・・・・・(アンダーライン=イエス様の愛の)・・・・・・

 

◎デボーションのポイント

1)私たちは、何を怒るのでしょうか?

2)私たちは何を歌うのでしょうか?

3)私たちは何を、いつ思い出しているでしょうか?

4)何が私のものとなっているでしょうか?

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