詩篇23:1
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
★父なる神の導きによって、イエス様のもとに来ることができる(ヨハネ6:44)
★人は、神のことばに導かれて生きる。(マタイ4:4)
【内容ポイント】
羊飼いは羊の導き手であり、羊は羊飼いの声に導かれる。
羊飼いの声に従う限り、羊は何一つ欠けることがない。
◎デボーションのための聖書箇所
A)詩篇119:49〜52『主はわたしの慰め』
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119:49
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どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。 |
119:50
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これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。 |
119:51
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高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。 |
119:52
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主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。 |
◎金持ちとラザロの例え話
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ルカ16:19〜31
ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」 |
金持ちとラザロの違いは?
◎イエス様を信じる者が慰められる(=救われる)
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第1コリント1:21
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 |
イエス様を信じるとは? またその生き方とは?
※私たちにとって最大の慰めは、暗闇の世界から救われていること。 |
B)詩篇119:53〜56『主のみことばは私の歌』
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119:53
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あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕えます。 |
*神のための怒り
*人の肉の怒り
119:54
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あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。 |
*私の旅の家
*私の歌
119:55
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主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し、また、あなたのみおしえを守っています。 |
*夜に思い出す
119:56
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これこそ、私のものです。私があなたの戒めを守っているからです。 |
*私のもの
・・・・・(アンダーライン=イエス様の愛の)・・・・・・
◎デボーションのポイント
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1)私たちは、何を怒るのでしょうか?
2)私たちは何を歌うのでしょうか?
3)私たちは何を、いつ思い出しているでしょうか?
4)何が私のものとなっているでしょうか? |
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