2016 devotion

聖い愛の方を求めて

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マルコ1:35
さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

【主題聖句内容観察】
安息日を忙しく過ごしたイエス様は、翌日、朝早くまだ暗いうちに起きて、だれにも邪魔されない静かなところで、父なる神様との交わりである祈りのときを過ごしておられた。

 

1.朝の暗いうちから、何故祈られたのか

マルコ1:35
さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

A)安息日を人々と朝から夜遅くまで過ごされた。

マルコ1:21〜34
それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。こうして町中の者が戸口に集まって来た。イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。

人々のために、いやし、悪霊の追い出し、説教をしていたので、父なる神との交わりのときがもてなかった。

B)朝早くまだ暗いうちに起きられた。

人々がその日の生活をはじめるまでの時間帯は、神に近づき祈るために最高の環境である。

C)寂しい所に出て行かれた。

祈りが邪魔されない場所を選ばれた。それは、大切で特別な時間を確保するため。

D)そこで祈っておられた。

父なる神様との交わりの時間を過ごしておられた。祈りによって神に近づき求め交わられた。

 

2.『進退両難』での祈り(受難週にあたり)

『進退両難』(しんたいりょうなん)の意味

進むことも退くことも難しい状態。にっちもさっちもいかない様子。

【十字架上でのイエス様の祈り】

A)自分の弱さを受けとめる聖い愛の祈り

マタイ27:46
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

B)他の人の弱さを受けとめる聖い愛の祈り

ルカ23:34
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

C)全存在を委ねることができる聖い愛の祈り

ルカ23:46
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

【デボーション参考ポイント】

十字架の苦しみの中で、祈りによって聖い愛の方を求め続けられたイエス様は、何を感じ取っておられたのでしょう。

 

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