ルカ17:12〜18
ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。
そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
【2/28説教の一人のツァラアトのきよめとの比較】
マルコ1:40〜42
さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。
A)イエス様との霊的距離感の違い
|
遠くても近くても、イエス様は求めに応えてくださった。 |
B)イエス様に直接触れられたのと触れられなかったとの違い
|
イエス様の応答は、言葉をなげかけてくださることである。 |
C)ツァラアトがきよめられるまでの時間の違い
|
きよめられる時間は違っても、必ずきよめてくださる。 |
D)感謝を捧げることと礼拝を捧げることの違い
|
きよめられたうちの九人は感謝したが、サマリヤ人は礼拝を捧げるために、イエスのもとに戻って来た。それは、聖い愛の神との交わりを続ける意味を表している。 |
|