2016 devotion

純潔清浄を伴う愛

go home   go to top

 


『純潔清浄(じゅんけつせいじょう)』
意味=汚れが全くなく、真っ白な心のこと。

第1テサロニケ4:7
神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。

【主題聖句内容観察】
私たちを愛してくださっている神が身元に引き寄せてくださったのは、我がままで自分勝手な願いを行わせるためではなく、この世から分離して御自身との関係が深まるように心を精錬するためです。

 

1.『聖』について

A)『聖』とは?

言葉上としては、「分離」を意味している。

あるものの性質を表わすものではなく、関係を表わす語である。

つまり、神および神と関係あるものとそうでないものとをわける語。

『聖』の倫理性の基準は「善」そのものではなく、創造主への「関係」いかんに置かれている。
よって、『聖』とは、創造主ご自身であり、その方との関係にある一切のものということができる。

B)『聖別』とは?

何かを世俗との関係から区別して、神のものとすることを言う。

「神聖化すること」「自分を神に捧げること」「浄化、精錬すること」

【デボーション参考ポイント】

「聖められる」ことについて正しく理解しましょう。

2.きよめを始める

第2テモテ2:21
ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。

【内容観察】

だれでも日々の生活において一つ一つの罪から離れ、罪に染まることのないように気をつけるなら、その人は神にとって尊いことに使われる器となります。すなわち、この罪の世界から分離され、神に属するものであり、主権者にとって有益なもの、あらゆる愛の行為にふさわしいものとなるのです。

【デボーション参考ポイント】

洗礼は、神のものとなることを意味しています。聖なる方に属する者となることの意志表明です。

純潔清浄に向けて現実の「きよめ」を始めましょう。

 

top

next