『棣鄂之情』(ていがくのじょう)
兄弟愛の美しい愛情のこと。
兄弟の仲が大変良く、互いに尊敬と愛情を注ぎ合っていること。
『棣』=庭梅の花 『顎』=花の顎
庭梅の花は、いくつも集まって咲くことから、兄弟が寄り添うように
仲良くかたまっているようすにたとえたもの。
1.ラザロの死がもたらしたもの(ヨハネ11:1〜7)
11:1
11:2
11:3
11:4
11:5
11:6
11:7
|
さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」
イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われた。
|
【内容観察】
|
A)ラザロ、マルタ、マリヤは、イエスに愛されていた兄弟であった。
B)兄弟愛を揺るがすラザロの死
C)ラザロのことを聞いて、なお二日とどまられたのか?
|
2.『棣鄂之情』に感極まる神(詩篇133:1〜3)
133:1
133:2
133:3 |
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
|
|
【内容観察】
|
注目すべきことだ。兄弟愛の美しい姿。兄弟が互いに尊敬し合い愛情を注ぎ合っていることの至福。
まるで、最初の大祭司任命のときの感激のようだ。神がどれほどの喜びを持ってイスラエルをご自分の民として祝福しておられることか。
また、ヘルモン山のきよらかな潤いがシオンの山々にももたらされるようだ。なぜなら、主は、兄弟愛のうえに、とこしえのいのちの祝福を宣言されるからである。 |
【デボーション参考ポイント】
|