2015 devotion

愛は尽善尽美

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『尽善尽美』(じんぜんじんび)
美しさと立派さを極めているさまを言うところから、欠けるものがなく、完璧であることを意味する。

 

(ヨハネ2:1〜11)

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2:10
 
 
2:11

それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておました。」
イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 

(1)『婚礼』

愛と喜びと祝福に満ちているところ。
特に、花婿にとって祝宴は、公に自分を推薦する大切なとき。

(2)『ぶどう酒』

喜び、幸福、交わりを現すもの。
祝宴には、なくてはならないもの。
ぶどう酒が祝宴の途中でなくなってしまうことは、花婿の恥である。

(3)『わたしの時はまだ来ていません』

イエス様の婚礼は、再臨の時であって、今は贖いのために来られた。
母を「女の方」と呼ばれた理由は、マリヤが教会を象徴しているから。
『婚礼』の原点は、神と教会の結びつきのことを象徴している。

(4)『母マリヤの信仰と弟子たちの信仰』

母マリヤは、水がぶどう酒に変えられる前からイエスを信じていた。
弟子たちは、水がぶどう酒に変わってから信じた。
この違いは、神の愛は『尽善尽美』と信じているかどうかである。

【デボーション参考ポイント】

ローマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

なぜ『知っている』のでしょう。あなたはどうですか?

 

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