2012 devotion
   
神に喜ばれる愛

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第1ヨハネ3:21〜22
愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。

1.「神に喜ばれる愛」

【敬聴】

以下のみことばから「互いに愛し合う」ことについて、どのようなことが教えられますか。

(1)箴言11:1
欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる

(2)箴言11:20
心の曲がった者は主に忌みきらわれる。しかしまっすぐに道を歩む者は主に喜ばれる。

(3)第1テモテ2:1〜3
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。

(4)第1テモテ5:4
しかし、もし、やもめに子どもか孫かがいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。

(5)ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

(6)ヘブル13:16
善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

(7)第1ペテロ2:19〜20
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

2.『温文爾雅』(おんぶんじが)の交わり

詩篇133:1
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。

  ★『温文爾雅』の意味
 態度や言動が穏やかで、礼儀にかなっていること。
 「温文」⇒心が温和で、態度が礼にかなって立派なこと。
 「爾雅」⇒言葉などが正しく美しい意。

【敬聴と適用】

十字架の苦難がもたらす兄弟愛について思いめぐらしてみましょう。

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