2012 devotion
   
愛こそいのち

「愛する」ことが、人を死からいのちへと移す秘訣

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第1ヨハネ3:14
私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。

1.死からいのちに移っているとは?

ルカ19:8
ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

【敬聴】
イエス様を通してザアカイの心がはっきりとしました。いのちに移ったのです。
何をもってザアカイは、死からいのちに移ったと言えるでしょうか?
自分自身にも照らし合わせてみましょう。

2.いのちに入る招きに預かっている私たち

ローマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

★与えられた聖霊⇒招かれた者への父なる神の約束
★神の愛が心に注がれている⇒使命が与えられている

【敬聴】
死のうちにとどまることは、聖霊様を悲しませることであり、使命を受け入れないことになります。
神の愛から湧き上がってくる神様からの使命を見いだしましょう。

3.死からいのちに移った人

ルカ15:24
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

【敬聴】
自分のことしか考えず、罪の中に陥り、死んだのも同然であった息子が、悔い改めて帰ってきたのは、死者が生き返ったのと同じなのです。それで父は大喜びで祝宴を始めた。

4.死のうちにとどまっている人

マタイ18:33〜34
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。

【内容観察】
赦されたあわれみを感じなかったしもべは、自分んを変えることができず、あわれみのない(死の状態)にとどまっている。それで、悔い改めるまで投獄された。

【敬聴】
「死からいのちに移った人」と「死のうちにとどまっている人」との違いを見極めて、(第2コリント5:17)の意味を考えてみましょう。

第2コリント5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

5.『飲馬投銭』をもって愛し合う

マタイ24:45〜46
主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。
主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

★『飲馬投銭』(いんばとうせん)の意味
馬が水を飲むたびに、その水の代金として水中に銭を投げ入れること。
転じて、心が清く、行ないが正しいことのたとえ。

◎「しもべ」⇒赦されている罪人を象徴する。
◎食事をきちんと与える⇒同僚を大切にしていることの証し。
◎忠実な思慮深いしもべ、同じしもべ仲間を支配しなかった。

【敬聴と適用】
私たちは互いに赦されている罪人です。互いの罪を見るたびに、自分の罪が愛なる神様に赦されていることを思い。その赦しの愛に感謝して、互いに赦し合うことが、赦されている罪人の清さであり正しい行ないと言えるでしょう。
「愛こそいのち」について、忠実な思慮深いしもべの『飲馬投銭』の行動から、どのようなことに気づかされますか?

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