2011 devotion

愛ゆえの終わり

 

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第1ヨハネ2:18
小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。

 
1.『終わり』について

意味⇒ 果たす、成し遂げる、最後を全うする、おしまい
終わりがある事によって、次の始まりがあることを知る。

『終わりの時』=神が語られたことが成し遂げられる時。

  【考えてみましょう】
「終わり」は必要でしょうか、それとも、必要ないでしょうか?
自分なりの考えを、その理由とともに書いてみましょう。

 

また、神の最後の審判はなぜ行なわれると思いますか?
参照(創世記6:5)
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

 
2.愛ゆえの終わり

マタイ18:23〜27
このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。
しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。

『あわれみ深い王』という視点から、次の質問に答える。
A)王はどうして清算をしたいと思ったのか?

B)王はどうして厳しく追及したのか?

C)かわいそうに思って、赦し、借金免除をした王の思惑は?


【敬聴】
『愛ゆえの終わり』についてまとめてみましょう。

 

3.『大処着墨』(たいしょちゃくぼく)を心掛ける

★『大処着墨』の意味
大事なところから墨を着ける意から、最も大切なポイントを押さえて物事を行なうことのたとえ。

第1コリント8:1
次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。

【内容観察】
律法を正しく行なうことの知識を多く持っていても、その知識が他の人の建徳に至らなければ高ぶるだけです。その知識を愛によって働かせるなら、人の徳を建てることになります。

【敬聴】
『愛は人の徳を建てる』から、愛することの大切さをどのように学ぶことができますか?

 

 

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