2011  devotion

主にあって労苦をともにする

 

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ローマ16:12
主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。

1.主にある労苦

主にあって労苦をしている人は、主にあって労苦している人を思い見ることが出来る。

創造主の期待に応える使命をもって、互いに労苦を分かち合える関係の中に愛があふれて来る。

(コロサイ4:10〜11)から、パウロが労苦をともにした人たちのことについて、どのような思いを抱いていたかを考えてみましょう。

コロサイ4:10〜11
私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。「「この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。「「ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。

2.使命感が労苦を支える

1)きよい良心のうちに沸き上がる使命感
使徒23:1
パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」

2)キリストの証人として使命を果たす心構え
第2コリント2:15
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

3)世界中にキリストの敬虔さが人々のうちに満ちあふれるように
第1テモテ3:16
確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」

3.敬聴

第1テサロニケ1:3
絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。

このみことばから『ともに労苦する』ことについて、どのようなことに気付かされますか?

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