2011  devotion

天の故郷に憧れて

 

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【今週のポイント】

終わりの日が近づいてるので、
ますます天の故郷への憧れが湧き上がる。

 

ヘブル11:16
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。


1.終わりの日のためのあかし

マタイ24:14
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

大震災が起こるたびに世の終わりのことを考えます。
終わりの日が来るには、福音が宣べ伝えられ、あかしされなければなりません。

1)キリストに習うあかしをたてる

第1テモテ2:6
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
終わりの日の福音のあかしは、自分を愛するように隣人を愛することです。

2)「烈士徇名」(れっしじゅんめい)の道

マタイ10:39
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

「烈士徇名」= 道理を大切にする人は、命をかけて名誉を守る。
利益や地位など世俗的な価値にこだわらず、道理を通して名誉を守るということ。

天の故郷を憧れている者は、神の愛という真理の道を歩む。

2.私たちの希望

ヘブル11:16
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

私たちの魂は、まことの安息を願っている。
私たちは孤児ではない。帰ることが出来る『家』がある。

1)天の故郷に憧れる

黙示録21:3〜4
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
ふるさとの良さ⇒まったき平安、安心、幸せ。
父なる神様のもとこそ、私たちの真の故郷。

2)以前のことが過ぎ去った幸せ

第2コリント5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

「過ぎ去って新しくなる」という「幸せ」を考える。

3.「生」と「死」を考える

ピリピ1:20〜22
それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

この地上に生きていくとはどういう意味なのか。また、肉体の死を迎えるとはどういうことなのかを、この度の大震災や福島第一原子力発電所事故を通して考え直してみましょう。


【敬聴】

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