2011  devotion

みことばの内住

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第1ヨハネ1:10
もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。


 

1.第1ヨハネ1:10について

1)「罪を犯してはいないと言う」
それは罪を隠すことであり、私は正しいと言う態度を意味している。
アダムのように、罪の恥を隠そうとする的外れの態度に気をつける。

2) 「私たちは神を偽り者とする」
クリスチャンは誰も、神は偽り者だと言う人はいない。しかし、私は正しいと言う態度をとることが、神を偽り者としているのである。

3)「神のことばは私たちのうちにない」
神のことばであられるキリストは、私たちのうちにおられない。
キリストは神の愛。
私は正しいと言う態度をとるとき、神のことばである『愛』は存在しなくなる。

罪の恥を隠そうとして、自分の正しさを主張するなら、それは、神を偽り者としていることになる。その人のうちには神の愛は存在しなくなる。
 
罪を隠して認めない姿勢は、福音のことばが悟れず、神の愛に触れられることをことを妨げる。

2.罪を悟る

詩篇19:12〜13
だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。

【内容観察】
傲慢の罪が、数々のあやまちを悟らせない原因である。傲慢に支配されなければ罪を悟って離れることが出来る。

【敬聴】
 

3.「流風余韻」(りゅうふうよいん)

コロサイ3:16
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

『流風余韻』の意味
後々まで残り伝わるような良い習わし、美風(美しいならわし)のこと
「流風」=先人から伝えられた良い風習
 
御父及び御子イエス・キリストとの麗しい交わりは、キリストのことばを豊かに住まわせることがポイントです。
 
キリストのことばとはどういうものでしょう?
また、みことばを豊かにうちに住まわせるポイントを考えましょう。

【敬聴】
 

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