2010  devotion

嫌離穢土 けんりえど

この世の汚れを嫌い、通俗な日常的なものから離れ、
聖なる神と関係を持ち、従属すること。

 

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【今週のポイント】

聖められることのすばらしさと喜びを見いだす。

ヘブル12:14
すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。

1.『聖』について

創造者、贖罪者である主なる神にのみ当てはまるものであり、他の一切から超越し隔絶された絶対的存在者をあらわすにふさわしいもの。

「聖」の語源の原意は、「分離する」「切り離す」。そこから、すべての冒涜的事柄や行為から分離され、切り離されて、神との関係を持つと言う意味を持つ。

神ご自身との関係にあるすべてのものということができる。つまり、被造者自体には「聖」は存在しないから、神との関係におかれることによってのみ、「聖」とされるのである。

2.教会を『聖める』目的

エペソ5:26〜27
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

【内容観察】
十字架による罪の贖いは、私たちを聖めるためであり、完璧な聖めは、栄光の教会をご自分にふさわしい存在とするためである。

【敬聴と適用】

 

3.『聖別』される喜び

第2コリント6:27〜7:1
あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。

【内容観察】
聖別をうとんじる人は、自分で自分を苦しめている。私たちは何のために贖われたのかをよく考えなさい。創造主なる神の子としてくださるすばらしい約束を忘れず、聖別されることを喜んで受け入れるのである。

【敬聴と適用】

 

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