A)それは義と認められていること。
(ルカ18:9〜14)
自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
【内容観察】「要点をまとめる」
【敬聴と適用】「取税人は喜びをもって家に帰りました」
B)それは、深く関わりたいという願い
(第1コリント1:9)
神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
【内容観察】
真実を持って私たちをめとってくださった(召してくださった)のは、主イエス・キリストと深く関わり(交わり)を持つためである。
【敬聴と適用】
喜びの存在である私たちと深く関わりを持たれることを願われる方は、私たちにどのようなことをしたいと願われているでしょう。
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