(第1コリント1:18)
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
A)ヨハネ3:3
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは、からだの生まれ変わりにこだわっていたので、イエス様が言われることが理解できなかった。霊が新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。
B)第1ペテロ1:3
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
私たちの霊が新しく生まれることができたのは、イエス様の死と葬りと復活のおかげである。殻であるからだの死が、神の御子イエス様の姿としてよみがえられた。
C)ローマ6:4
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
私たちの霊が新しく生まれるためにバプテスマを受け、神の子としての人生という種を蒔いてくださったのである。神のことばであるイエス様と一体化しなければ、神の国を見ることはできない。
D)ガラテヤ5:24
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
イエス様の十字架でのからだの死は、新しく生まれた私たちの霊が生かされるための死であった。さらに、肉体の苦しみは、私たちの殻を砕くために、砕かれたのである。
また、きよめられた霊が宿り、聖霊様も宿ることができるようにと、罪の贖いをされたのである。もちろん、霊、たましいの罪の贖いのために、ハデスで苦しみを受けられたのである。
E)第1コリント15:37
あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。
新しく生まれた人生は、永遠の世界でのからだを得るためではなく、イエス様と同じ霊の姿という種粒を実らせるためにある。
F)第1コリント15:44
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
血肉のからだにあって過ごす神の子としての人生が、霊を成熟させ、キリストと同じ姿にふさわしい、御霊のからだが与えられる。これが死後の復活への希望である。
何に死に、何に生きるのかを意識した一週間としましょう。
|