2010  devotion

一飯君恩 いっぱんくんおん

たった一度でも、食事を振る舞ってくれた主君の恩を忘れないこと。

 

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コロサイ3:14
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

【今週のポイント】

共同体は、愛の帯によって結ばれている

 

1.結びの帯としての『愛』は?

第1ヨハネ4:9
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちに「示された」とは、私たちが理解できるように神の愛を現してくださったという意味。

また、私たちが見習うことができる『愛』を示されたのである。
その『愛』は、相手に『いのちを得させようと働きかける与える愛』のことである。

【考えてみましょう】
「いのちを得させる」という意味は何でしょう。

2.どこに『愛』が存在するのか?

第1ヨハネ4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

神様が明らかにされた愛は、私たちのために御子を遣わされたという犠牲の中に存在しています。

つまり、相手に「いのち」を得させるために犠牲を払う中に愛は存在するということになる。

【考えてみましょう】
「エロスの愛」は肉の欲求を得させるもの。「フィレオの愛」は精神的欲求を得させるもの。「アガペの愛」はいのちを得させる愛。
どのような時に、それぞれの愛は存在しますか。

3.一飯君恩以上の気持ちをもって

第1ヨハネ4:11〜12)
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

「これほどまでに愛してくださった」とは、一飯君恩どころではない恩恵を受けた事を指し示している。

私たちは互いに、永遠のいのちを得るようにと神に愛されているもの同士である。

【考えてみましょう】
贖いの恩恵を受けた事によって、どうして互いに愛し合わなければならないのでしょう。

4.恩を忘れていない証し

マタイ18:22〜35
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。(21-22)
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』(33)

私たちが赦された事の恩の大きさを思い、その恩に報いる証しとして互いに赦し合いましょう。

★考えてみましょう

A) 私たちが人を赦さないのは、どのような理由があるのかを探ってみましょう。

B) 「赦してください」と言ってこない者には、どうしたらよいのでしょう。

C) 共同体(教会)の結びの帯は、大きなあわれみの愛です。

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