2010 devotion

一家眷属 いっかけんぞく

家族や血縁者。一族とその従者や部下。
ある団体や流派に属する人々のこと。

 

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創世記1:25〜27
神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

1.「種類にしたがって」の意味(創世記1:25〜27)

神様は、その種類にしたがって、すべての生き物を創造されました。つまり、「一家眷属」を多く造られたのです。それは、「共同体」という一つの真理によってすべてのものは成り立っていることを現しています。

「共同体」とは、一般的に『血縁的、地縁的あるいは感情的なつながりを基盤とする人間の共同生活の様式』という意味です。それは、独立したもろもろの個人が、何らかの深いつながりのゆえに、自発的な意志をもって一つに合わせる社会と言えるでしょう。

そのように「共同体」としての社会を保つためには、相互扶助と相互規制が必要となります。

【考えてみましょう】
(創世記2:16〜17)にあるアダムへの命令は、どうして必要であったのでしょう。
ヒント】人は三位一体の神に似せて創造されている。

創世記2:16〜17
神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

2.共同体としての相互扶助と相互規制

第1ヨハネ5:3
神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

なぜ、命令を守ることが愛することなのでしょうか。その答えを見いだすためには、「共同体」であることを意識しなければなりません。

「共同体」は「協力会」とは異なります。基本的に同じ意味を持つものですが、「愛する」という観点からの違いを考えましょう。

「協力会」は、協力できないと思えばいつでも協力関係を立つことができますが、「共同体」は、協力できるかできないかではなく、自分では絶つことのできないつながりを保つために、あらゆる努力と犠牲を払うものです。
「愛」という絶つことのできない関係だからこそ、その共同体を保つための命令を守り抜くのです。

【考えてみましょう】
あなたの夫婦関係、家庭は、共同体ですか協力会ですか。
この教会のメンバーとしてあなたは、共同体ですか協力会ですか。
父、御子、御霊の神との関係は、、共同体ですか協力会ですか。

3.願いが聞かれない理由

マタイ18:19〜20
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

「心を合わせて祈ったのに、どうして神様は祈りに応えてくださらないのだろう。」そして、願いがかなわないと祈ることをやめてしまう。

祈りに応えられるのは、祈り会にイエス様がおられるからではないように思います。
イエス様の名において心を一つにして集まるところとは、協力会ではなく、共同体という意味ではないでしょうか。

日頃から、共同体としてイエス様とともに歩みましょう。

私たちは、神の国に生まれたキリストによる『一家眷属』なのです。
(ヨハネ1:12〜13)
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

 

 

 
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