2010  devotion

胸襟秀麗 きょうきんしゅうれい

考え方や心構えが正しく立派なさま。

 

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マルコ9:43
もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

1.胸襟秀麗な人

マタイ6:25
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

A)正しく立派な考え方

いのちは食べ物より大切なもの
からだは着物より大切なもの

いのちにはいることは、からだの一部を失うよりも大切。

B)正しく立派な心構え

いのちのことで何を食べ、何を飲むかと心配しない。
からだのことで何を着ようかと心配しない。

つまずきとなるものは、からだの一部であっても切り捨てる。

【考えてみましょう】
正しく立派な考え方や心構えによって、神の国とその義を第一に求めなければなりません。
それほどに、神の国とその義は、私たちにとって重要な事なのです。

2.「いのち」について

ヨハネ14:6
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

「いのち」とは、主イエス・キリストのこと。
イエス様を知ることによって「いのち」について理解することができる。

そのイエス様は「神のことば」と言われる方。
(黙示録19:13)
その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

すなわち、「いのちのことば」である方。
(第1ヨハネ1:1)
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

「いのち」と「主イエス・キリスト」と「神のことば」は同一である。

【考えてみよう】
主題聖句にある「いのちにはいる」という表現は、何を意味しているのでしょう。

3.いのちのことばであられるイエス様の魅力

神のことばには私たちの心をひきつける力があります。
たとえば、

A.マタイ8:3
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。

B.マタイ11:29
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

C.ヨハネ8:12
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

D.ヨハネ10:11
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

私たちは、神のかたちに似せて造られたものです。ですから、「胸襟秀麗」という言葉にふさわしい者なのです。

つまずきとなるものを切り捨てて、いのちにはいって行きましょう。

 

 

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