種=神のことば
種が落ちた場所=神のことばを聞く人の心の状態
(1)道ばたのような心(詩篇95:8)
メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
「メリバでのとき」(出エジプト記17:1〜7を参照)
イスラエルの民が「水がない」とモーセと争い、主を試みた場所。
争う心=かたくなな意志。高慢。自分の間違いを認めない。
人からの勧めを聞こうとしない。
どのような証拠を見ても、神を信じない頑固な意志。
(2)土の薄い岩地のような心(ヤコブ1:6〜8)
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
二心=移り気な心。安定しない心。感情に振り回される。
変わることのない神の愛を自分の感情の動きで計ってしまうので、疑いや不信に悩まされる。
(3)いばらのある地のような心(伝道者の書2:3)
私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。
この世の不敬虔な考え方に影響され、神のことばを曲げてしまう。
知識欲があだとなり、神の純真な知恵を汚してしまう。
さまざまな思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりの考えに影響されないように、思いを吟味する必要がある。
(4)良い地のような心(詩篇1:1〜3)
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
正しい良心によって物事を受けとめる心。
神様を自分のお手本として人生を歩む人。
人は、崇拝する方に同化したいという願望を抱く。
正しい良心からの願いは、神様を愛し、神様と親しく交わりを持つ幸いをを願っている。
神のことばに啓発されて、良い地のような心を備えるようにこころがけましょう。
そのためには、心を耕し、石を取り除き、いばらを抜き取るという悔い改めの作業が必要です。
悔い改めの手を休めないように、勤勉な日々を過ごしましょう。
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