2009  devotion

旱天慈雨 かんてんのじう

日照り続きに降る恵みの雨。また困窮している時の援助や物質のたとえ。

 

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イザヤ12:4〜6
その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」

神様への賛美が沸き上ってこない理由の一つとして、恵み溢れる「採薪汲水」に慣れてしまっているからではないでしょうか。

1.「採薪汲水」=恵み溢れる生活(イザヤ12:1〜3)

その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。

1)みことばの薪が聖霊の火で燃える
みことばは、聖霊様によって生きた言葉として私たちを生かされる。薪も燃やさなければ役に立たない。

A)私を怒られた=懲らしめ
私たちへの怒りは、的外れから立ち返るための懲らしめである。みことばの薪が聖霊の火によって燃える時、たましいに厳しく聞こえてくる。

B)私を慰め=あたたかさ
落胆と失望の中に陥った時(砕かれたたましい)、主は私たちをあたたかな愛によって慰め、励まし、いやしてくださる。みことばの薪が聖霊の火によって燃えるとき、たましいに優しく聞こえてくる。

2)救いの泉から水を飲む

霊的干ばつの世界であるこの世の中に、唯一の泉としてもたらされたイエス・キリストによる救いのみわざ。

預言の成就=わき水が湧き出て、現在に至っている。
神の子として生きるためにはこの泉からいつも飲むことが必要。

2.採薪汲水は旱天慈雨の喜び(申命記28:12)

主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。

1)暗やみの世界で光の生活をする(第2コリント6:9〜10)
人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

この世の人が思うほどに、クリスチャン生活は行き詰まったものではない。かえって日照り続きに降る恵みの雨を体験している。

2)今が旱天慈雨の時である(第2コリント6:2)
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

今のクリスチャン生活は旱天慈雨を受けている毎日であると気づいているでしょうか?

3)『その日、あなたは言う』(イザヤ12:4〜6)

 賛美は旱天慈雨だと気づいている人の心から湧き上がってくるもの。

A)感謝の賛美(v4)
B)感激を告げる賛美(V5)
C)大声で歌う(V6)

3.福音を旱天慈雨と受け止める賛美の生活

イザヤ12章は救世主による福音が採薪汲水という恵みの生活と、旱天慈雨という喜びと感謝を信じるものにもたらすものであることを示している。

雨を嫌う人が多いこの時代、神様の恵みの雨を煩わしいと捉えてしまっているクリスチャンが多いのではないか。

旱天慈雨と思える賛美の日々を過ごせるように、福音を味わうことが重要なポイント。

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