2009  devotion

杓子果報 しゃくしかほう

食べ物をたくさん分けてもらうこと。
転じて、幸運に恵まれること。

 

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伝道者の書3:13
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

1.『しあわせを見いだす』という神の賜物

【一般辞書】
『しあわせ』=めぐりあわせ、天運、機会、幸福、好運、幸い

【聖書辞典】=『さいわい』
ヘブル語= (1)「進む」「うまくいく」という動詞から出た感嘆詞。
  (第1列王10:8、第2歴代9:7、詩1:1など)
(2)「心地よい」「良い」を意味する形容詞。わざわいの対語
  (申6:24、ヨブ2:10、詩16:2など)
ギリシャ語= 「マカリオス」=おもに霊的祝福について使われている。
時間や状況によって変動するはかないこの世の幸福ではなく、悲しみや不遇によっても消されることのない神の祝福を意味する。
(マタイ5:3〜11、ヨハネ13:17、ヤコブ1:12など)

A)「食べたり飲んだりし」
第1テモテ6:8
衣食があれば、それで満足すべきです。

「しあわせを見いだす」という観点から、このみことばからのメッセージを考えてみましょう。

B)「すべての労苦の中に」
マタイ6:34
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

あすに対しては希望を持つのであって、心配することではありません。
今日の労苦があすにどうつなげていくかは、今日の労苦を十分受け止めて、しあわせを見つけだすことではないでしょうか。

C)「しあわせを見いだす」
ルカ17:20〜21
さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

神の国は「しあわせ」の国です。
神の国をどこに見いだすことを、イエス様は教えておられますか。
また、「見いだす」とは、物事をどうとらえるかという意味です。

2.『杓子果報』のための参考

クリスチャン人生は、キリストについていく毎日。それは、十字架を負う歩み。十字架に立つ生活のこと。

マタイ16:24
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

 プラス   

十字架に立つ生活の中で、十字架の死からよみがえられたイエス様を見上げることによってすべては感謝に変えられます。

ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

 プラス   

『神から多く与えられている恵みは、
          すべての労苦に隠されている。』

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