2009  devotion

柳暗花明 りゅうあんかめい

春の野の美しいながめのたとえ

 

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ヨハネ8:12
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

1.いのちの光を持つ

わたしに従う者は=羊が羊飼いについて行くようすを思い浮かべる。

やみの中=わきまえのない状態。不敬虔不信仰ネガティブの中。

いのちの光=春の光は冬からの目覚めをもたらす。
      そのように、心に柳暗花明をもたらすことばの光。
   (詩篇119:130)
   みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。

持つのです=ついて行くことによって、そこに存在し続ける。

イエス様について行く者は、盲目な人生を決して歩むことがありません。むしろ、そのみことばが放つ光に心が満たされるのです。

【考えてみましょう】
春の光は、自然界にどのような覚醒をもたらすでしょう。
みことばがあなたのうちに春の光のように降り注いでいるでしょうか。

2.みことばによる柳暗花明の心

A)ローマ15:13
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

このみことばが放つ光が、柳暗花明の心へと覚醒させるポイントは、『望みの神』(どんなときでも神様に心を向けると、望みが湧き上がってくる)です。

【考えてみましょう】
神様に心を向けると望みが湧き上がるという神様との関係とは、どのようなものなのでしょう。
いろいろなものにたとえて考えてみましょう。
【例】 羊飼いと羊の関係

B)エレミヤ17:14
私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。

私たちのささげる賛美は、春の光を受けた草花が、芽を出し花を咲かせるようなものである。
みことばの放ついのちの光を受けた人は、必ず賛美が湧き上がり、心が柳暗花明へと変えられて行く。

【考えてみましょう】
「私の賛美です」とはどういうものかを、何にたとえることができるでしょうか。
【例】 結婚式を迎える新郎と新婦

 

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