2009  devotion

光風霽月 こうふうせいげつ

心が清らかで、すがすがしいことのたとえ。

 

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詩篇23:4
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

主とともに歩むこととは、主についていくことです。そうするならば、わざわいを恐れることはありません。さらに、主の懲らしめが励ましとなって、「光風霽月」のように心が満たされるのです。

1.『わざわいを恐れません』

第2歴代誌20:17
この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』」

A)死の陰の谷(第2歴代誌20:1)
この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。

この世は死の陰の谷のようで、暗やみの支配に囲まれているネガティブな世界である。

B)あなたが私とともにおられますから(第2歴代誌20:21)
それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」

ネガティブな世界の中でポジティブに生きることができる。

C)光風霽月なポジティブな生活のみことば

1)ローマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

2)ローマ8:32
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

3)ローマ8:38〜39
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

2.『むち』と『杖』は私の慰め

A)知恵を与える『むち』(箴言29:15)
むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。

知恵を与えない『むち」は心をゆがめるだけである。

B)公正な主権の『杖』(詩篇45:6)
神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。

神様には不公平な扱いはいっさいない。

C)悲しむ者は幸い(マタイ5:4)
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

『むち』と『杖』は当初、悲しい思いをするでしょう。しかし、真意が伝わると『むち』と『杖』は励ましとなり、やり直す力となるのです。

【考えてみましょう】

ネガティブな世界で、ネガティブの心になってしまうことが多いのに、どうしてポジティブに生きることができますか?

ヘブル12:5〜6は箴言3:11〜12からの引用です。2つの聖句を比べて、『むち』の正しい意味を考えましょう。

ヘブル12:5〜6
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

箴言3:11〜12
わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。

第2コリント7:10から、『むち』と『杖』が慰め(力づけ)になるのかを考えましょう。

第2コリント7:10
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 

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