2009  devotion

死灰復燃 しかいふくねん

一度火が消えた灰が、また燃え出すの意から、一度失った勢力が盛り返すことのたとえ。

 

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詩篇23:3
『主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。』

罪のために死んでいた羊である私たちを、救い主によって生き返らせ、二度と死ぬことがないように永遠のいのちを与えてくださった神さまは、羊飼いの誇りにかけて、私たちを義の道から迷いでないように導いてくださるのです。

1.『たましいを生き返らせ』

A)たましいの『死』について(創世記2:17)
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。

1)不従順によってもたらされた『死』(民数記14:43)
そこにはアマレク人とカナン人とがあなたがたの前にいるから、あなたがたは剣で打ち倒されよう。あなたがたが主にそむいて従わなかったのだから、主はあなたがたとともにはおられない。」

不従順によってもたらされる『死』とは、神様との断絶を意味しています。

【考えてみましょう】
不従順という的外れの行動によって、人は的外れの存在となりました。人の存在の目的とは何でしょう。

2)『関係』における『死』(ルカ15:24)
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

父と子の関係が途絶えたことを『死んでいた』と表現されています。それは、父親からの息子に対する捉え方です。

【考えてみましょう】
人に限らず、あなたにとって死んだ関係のものがどれくらいあるかを、探してみましょう。

B)『たましいを生き返らせ』とは?(アモス5:4)
まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」

『主を求める』とはつながりを持つこと、交わりを持つことです。
万物は、神様との関係によって生きています。

【考えてみましょう】
羊飼いである主から『生き返らせる』という働きかけを、『交わり』という観点から考えてみましょう。

2.『御名のために、義の道に導く』

A)『御名のため』

羊飼いの誇りにかけて、宇宙最高位の名前に恥じないように。
私たちの存在に対する、力強い責任感が表明されています。

B)『義』について(ガラテヤ2:16)

1)救い主を信じる信仰による『義』(ガラテヤ2:16)
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

2)与えられる『義』、自分の義ではない(ピリピ3:9)
キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

『信仰による義』『与えられた義』とは、人が造られた目的の状態のことを示しています。

C)義の『道に導く』(詩篇139:24)
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。

1)『義であり続けるように導く』

2)迷いでないように教え示す。

3)道理をわきまえるように仕向ける。

その道に導かれていくには、羊飼いとの関わりが必要です。
ただなんとなく、羊飼いの後をついて行くのではありません。

デボーションのために

詩篇23:3は、『死灰復燃』を私たちにもたらすポイントである。

モチベーションの低下、信仰の火が消えかかっている、聖霊の火が弱ってきているなど、たましいが死んだ状態のときに、主は私たちのたましいを生き返らせてくださる。

羊飼いは、弱っている羊には特に深く関わりを持つ。
主も同じように、私たちに関わってくださる。

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