詩篇23:1
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主とともに歩むとは、羊飼いに羊がついていくことです。そこには罪人に対する「竹頭木屑」の計画があるのです
1.主は私の羊飼い
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主イエス様との関係において、どのようなわきまえを持っていますか? |
1) |
罪の赦しのために小羊がいけにえとしてささげられた |
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モーセの律法において、自分の罪が購われるために、一歳の小羊をいけにえとしてささげることが決められていた。 |
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あなたは羊飼いとして自分が育てた小羊を、自分の罪を購うためにささげることができますか? |
2) |
父なる神様は、罪人である私たちのためにひとり子イエス様をおささげになられた |
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(ローマ5:8)
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 |
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羊飼いが自分の罪のために小羊をささげるのに躊躇するなら、罪人のためにひとり子をささげられる神様は、いかに大きな愛を私たちに注いでおられることでしょう。 |
2.私は、乏しいことがありません
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『私は、乏しいことがありません』とどうして言えるのでしょう。 |
1) |
羊飼いに従えば、必要な望ましいものに不足しない |
2) |
失敗などで失うことがあっても、追補してもらえる |
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ある人がリサイクルショップで、あるものを新品よりも高い値段で買い取りました。そこにはどのような理由があると思いますか? |
『竹頭木屑』と詩篇23:1を併せてのデボーション
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役に立ちそうもない罪人を、イエス様を代価として買い取り、手入れを施して保存し、後にやってくる新しい天と地において、役立てようと計画してくださっている羊飼いのみことばについていきましょう。 |