2009  devotion

竹頭木屑 ちくとうぼくせつ

役に立ちそうもないものを保存しておいて、
あとで役に立てることのたとえ。

 

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詩篇23:1
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主とともに歩むとは、羊飼いに羊がついていくことです。そこには罪人に対する「竹頭木屑」の計画があるのです

1.主は私の羊飼い

A)主との関係をわきまえている表現

1) 自分の分をわきまえている
2) 羊飼いのおかげで生きていける
3) 羊飼いと羊とは共存している
4) 羊飼いにとって羊は家族である
【考えてみよう】
主イエス様との関係において、どのようなわきまえを持っていますか?

B)羊飼いと羊の心のつながりが見えてくる

1) 罪の赦しのために小羊がいけにえとしてささげられた
モーセの律法において、自分の罪が購われるために、一歳の小羊をいけにえとしてささげることが決められていた。
【考えてみよう】
あなたは羊飼いとして自分が育てた小羊を、自分の罪を購うためにささげることができますか?

2) 父なる神様は、罪人である私たちのためにひとり子イエス様をおささげになられた
(ローマ5:8)
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
羊飼いが自分の罪のために小羊をささげるのに躊躇するなら、罪人のためにひとり子をささげられる神様は、いかに大きな愛を私たちに注いでおられることでしょう。

2.私は、乏しいことがありません

A)羊飼いへの信頼の証し

1) つき従うことへの喜びの証し
2) 安全で、幸せである証し
3) 将来に希望を抱いている証し
【考えてみよう】
『私は、乏しいことがありません』とどうして言えるのでしょう。

B)何も持っていないが、すべてを得ている

1) 羊飼いに従えば、必要な望ましいものに不足しない
2) 失敗などで失うことがあっても、追補してもらえる
3) 存在を生かしてくださる唯一の方
【考えてみよう】
ある人がリサイクルショップで、あるものを新品よりも高い値段で買い取りました。そこにはどのような理由があると思いますか?

 

『竹頭木屑』と詩篇23:1を併せてのデボーション

役に立ちそうもない罪人を、イエス様を代価として買い取り、手入れを施して保存し、後にやってくる新しい天と地において、役立てようと計画してくださっている羊飼いのみことばについていきましょう。

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