箴言5:15〜17
あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。
あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。
それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。
3月10日(月)〜3月15日(土)
下記のポイントから自由にデボーションしてください。
1.その意味を考える(箴言5:15〜17)
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水ため=生活に欠かせない水をためるところ。人生
井戸の豊かな水=神が与えられた豊かな人生。
外に散らし、通りを水路にする=何の考えもなく無駄に使うこと。
自分だけのもの=神から与えられた人生だから、自分らしく生きる。
他国人のものにするな=不敬虔な者たちに人生をあやつられないように。 |
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考えてみましょう。
上記の事を参考に『玩物喪志』という観点から、自分なりに『箴言5:15〜17』を解釈してみましょう。 |
2.水が変えられる
A.苦い水から甘い水へ(出エジプト15:22〜25)
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モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。 |
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一本の木⇒十字架の贖い
受け入れられない苦い人生を、甘い喜びの人生に変えてくださるのはイエス・キリストの救いによります。それにはモーセが一本の木を示されたように、私たちも福音による啓示が必要です。 |
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デボーション参照のみことば;(第1コリント5:17)
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 |
B.水が上等なぶどう酒に(ヨハネ2:6〜10)
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さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、「「しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。「「彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」 |
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潤された人生を更に祝宴のような喜びに変えてくださるイエス様。その大切なポイントは、イエス様の言葉に忠実であることです。 |
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デボーション参照のみことば;(ローマ14:17)
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 |