2007  devotion

三釜之養 さんぷのよう
孔子の弟子の曽子は、わずか三釜〈一斗五升〉分の貧しい給料でも親に孝養ができる時は楽しかったが、後に出世して高給を取るようになっても、親が亡くなったので楽しくないと言ったという故事から、薄給の身で親に孝養を尽くすことを言う。

 

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第2コリント5:15
また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

8月27日(月)〜9月1日(土)
下記のポイントから自由にデボーションしてください。


「死んでよみがえった方のために生きる」と表現されている神様のお気持ちを汲み取って、『広島エルサレムプラン』に取り組んで行きましょう。

1.どうして自分のためにではないのでしょう

ルカ9:24
自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

★考えてみましょう
1) 自分のために生きることによるプラス面とマイナス面は?

2) ルカ9:24は一つの霊的原則です。

2.キリストの死と私たちの誕生

第1ヨハネ5:1
イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。

★考えてみましょう
1) イエス様の死には、どのような意味が含まれていますか?

2) 生んでくださった方と生まれた者の関係を考えてみましょう。

3.イエス様の生き方

ヨハネ4:34
イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

★考えてみましょう
1) 御父のために生きる御子の喜びと楽しみ。

2) あなたにとって『死んでよみがえった方のために生きる』とは?

生んでくださった方である天の父なる神様に、孝養を尽くすなどおこがましいことです。しかし、イエス様の死によって生まれた私たちは、生んでくださった方との関係が、喜びであり楽しみなのです。

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