第1テサロニケ1:3
絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。
2月6日(月)〜11(土)
下記のポイントから自由にデボーションしてください。
三つの愛の労苦
1.交わりという施し(第2コリント9:13)
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このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 |
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労苦を避けようとすると無関心な態度になってしまいます。
関係を持つことによって苦しみたくないからでしょう。
苦しんでも関係を保とうとするのが「愛の労苦」なのです。
交わりの関係は、共に分け前にあずかることによって成立し、また互いに分け与え、かつ分け与えられるつながりとして表されるのです。 |
2.あわれみという愛情(ピレモン1:10〜12)
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獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。 |
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「愛の労苦」は、他の人に対する愛情、愛する人々との交わりを求める心からの願いがあってこそなしえることではないでしょうか。 |
3.赦しという親切(エペソ4:32)
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お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 |
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「愛の労苦」という親切を続けるには「赦し」の心が必要です。
主は私たちに最高の親切である「赦し」を与えてくださいました。 |
平和をつくる者にとって「愛の労苦」は欠かせないものです。そして、「愛の労苦」には「粒粒辛苦」が欠かせないものでしょうか。