2005  devotion  イエス様の語られたおことば
死灰復燃 しかいふくねん
火の気のない灰が再び燃え上がることから、
一度失った勢力が盛り返すことのたとえの意。

  

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3月28日(月)

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。 


ローマ8:22
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

 
■ゲッセマネの祈り

【黙想のポイント】
被造物全体が「うめく」とはどういうことでしょう。
イエス様のゲッセマネの園での祈りは、被造物のうめきではないでしょうか。
私たちが純粋であった時、正しい良心もうめき悩んだのではないでしょうか。
 

 

 

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3月29日(火)

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

第1ペテロ2:19
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。

 
■不当な裁判

【黙想のポイント】
イエス様がユダヤ人によって不当な裁判を受けたようにこの世でえた知識をもって知性が、正しい良心をさばくのです。
知性が、神のかたちに造られていることを否定するのです。
正しい良心が汚されないために、悲しみをこらえなければなりません。
 

 

 

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3月30日(水)

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

ヨハネ18:23
イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」

 
■むち打たれる

【黙想のポイント】
総督ピラトでさえ無実を認めていたにもかかわらず、イエス様はむち打たれました。ただ感情的な理由によって。
感情は、理由なく正しい良心を打つのです。
 

 

 

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3月31日(木)

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

ネヘミヤ9:29
あなたは彼らを戒めて、彼らをあなたの律法に立ち返らせようとされましたが、彼らはかってなふるまいをして、あなたの命令に聞き従わず、もし人がこれを行なうなら、これによって生きる、というあなたの定めにそむいて罪を犯し、肩を怒らして、うなじをこわくし、聞き入れようとはしませんでした。

 
■十字架につけろ!

【黙想のポイント】
「十字架につけろ」と叫んだうなじのこわいイスラエルの民のように、自己中心の自尊心は、正しい良心を殺してしまうのです。
 

 

 

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4月1日(金)

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

イザヤ53:12
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

 

■十字架の上での死

【黙想のポイント】
イエス様が罪人のためにとりなして死なれたように、正しい良心は、罪に動かされ、汚された知性・感情・意志の為にとりなしをし、神にゆだねることによってすべてを取り戻すことができるのです。
 

 

 

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4月2日(土)

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

ローマ8:11
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

 

■復活

【黙想のポイント】
イエス様は自分でよみがえってこられたのではありません。御霊がイエス様をよみがえらせたように、正しい良心をよみがえらせてくださるのです。
御霊と一つとなった正しい良心は、知情意を従わせ、キリストの姿へと近づいていくのです。