12月2日(木)
マタイ5:6
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
ローマ3:25〜26
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
■罪人が義とされる
【黙想のポイント】
義に飢え渇くとは、義とされることを求めている人です。
その人は、行いによって、神の前に義とされることが不可能であると悟らなければなりません。
同時に望みが無いというのではなく、信仰による義という、唯一罪人が義とされる救いがもたらされたことを喜ぶことが大切です。