2004  devotion  シリーズ1 イエス様の語られたおことば
水魚之交 すいぎょのまじわり
水と魚の関係のように、離れることの出来ない親密な交わりの意

  

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11月1日(月)

ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」 

ガラテヤ3:10
というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

 
■モーセ(律法)への望み?

【黙想のポイント】
祭司長たちのモーセに対する望みは、律法を行なえば「義とされる」というものでした。
それは行いによる「義」のことで、そのとおりですが、実現しませんでした。むしろ、モーセが訴えるように、律法は聞こえたのです。
行いによって義とされることに望みを置くと、むしろ失望してしまうのです。
行いを優先した価値評価は、神のみこころである律法を全うすることができないのです。すなわち、人を生かすことができないのです。人に対し、自分に対し、行いを優先した価値判断をしていませんか。
 

  

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11月2日(火)

ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」


使徒8:18〜21
使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。

 

■義とされる喜び


【黙想のポイント】
義とされることがなぜ大切なのでしょうか。
「義」とは、そのものの存在が正しい状態にあると認められ、そのものの権利を有することなのです。
すなわち、人が義と認められるのは、神様との正しい関係にあるということになるのです。
神様との正しい関係よりも、利益のために人との関係を優先し、神様を悲しませていませんか。


  

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11月3日(水)

ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」 

ガラテヤ2:16
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

 
■キリストへの望み

【黙想のポイント】
モーセはキリストについて書いたとはどういう意味でしょう。
それは、律法に行いによって人は義とされることはないので、キリストが与えられる救いを受け入れるように、と書いたのです。
行いによる義をあきらめさせ、信仰による義を受け入れるようにと。
信仰によって、神様との正しい関係を回復できるというものです。
あなたは信仰による、神様との正しい関係にありますか。
 
 

 

 

 

 

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11月4日(木)

ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」

ローマ6:14
というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

■恵みの下に置かれている
 

【黙想のポイント】
信仰によって義と認められるとは、神の恵みの下に置かれているという意味です。
行いによって義を求める人は、常に違反に対する裁きの恐怖を持っていますが、信仰によって義を求める人は、裁きの恐怖から解放され、幾度も悔い改めながら、完成に近づくことができるのです。
神の恵みという水の中を泳ぐ私たちなのです。
 

  
  
    

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11月5日(金)

ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」 

ヤコブ1:25
ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。
 

■完全な律法

【黙想のポイント】
恵みの下にある人の律法は、完全な律法、自由の律法と呼ばれます。
恵みの中にいるので、すべて自発による決断となるのです。
完全と自由とは関係があるようです。考えてみましょう。

 

 

 

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11月6日(土)

ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」

第1ヨハネ4:20〜21
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。

 

■モーセを信じているなら

【黙想のポイント】
夫を信じているというなら、夫が信じているものを信じるはずです。
イエス様を信じているというなら、イエス様が信じておられるものを信じるはずです。
神を愛しているというなら、神が愛しておられるものを愛するはずです。