11月2日(火)
ヨハネ5:45〜47
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」
使徒8:18〜21
使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。
■義とされる喜び
【黙想のポイント】
義とされることがなぜ大切なのでしょうか。
「義」とは、そのものの存在が正しい状態にあると認められ、そのものの権利を有することなのです。
すなわち、人が義と認められるのは、神様との正しい関係にあるということになるのです。
神様との正しい関係よりも、利益のために人との関係を優先し、神様を悲しませていませんか。