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レビ記1:1〜2
主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。

■ささげ物  

新約聖書より適用
エペソ5:2
また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


     
「ささげ物」→愛のうちを歩んでいる証し
自分自身をささげものとすることほど確かな愛の証しはない。
「香ばしいかおり」→あなたの愛が相手にとって香ばしいかおりであることが大切。

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レビ記1:3
もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、主に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。

■牛の全焼のいけにえ

新約聖書より適用
第2テモテ2:15
あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。

     
牛=力、働き、労苦を象徴している
どんな仕事でも恥じることのない働きを目指すことが良い結果を生み出すように、御国の実現のために人生をささげましょう。

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レビ記1:4
その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。


■いけにえの頭に手を置く

新約聖書より適用
第1ペテロ2:24
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


     
水のバプテスマによって私たちの罪はキリストにのせられ、共に十字架につき、共によみがえったのです。
私たちが「生きる」ためには、その方法しかなかったのです。

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レビ記1:5
その人は主の前で、その若い牛をほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。

■祭壇の周りに血を注ぐ

新約聖書より適用
ヘブル9:22
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。


     
十字架にかかられたイエスの脇腹にやりが突き刺されなければならなかった理由がありました。
十字架=青銅の祭壇
その周りに注ぐのは罪のゆるしのためのイエスの血をあらわしていたのです。
  

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レビ記1:6
また、その全焼のいけにえの皮をはぎ、いけにえを部分に切り分けなさい。

■皮をはぐ

新約聖書より適用
ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。


     
アダムとエバは罪のゆえのはずかしめを、神のあわれみによって皮の衣で覆われました。
キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架ではずかしめられたのです。

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レビ記1:7〜8
祭司であるアロンの子らは祭壇の上に火を置き、その火の上にたきぎを整えなさい。祭司であるアロンの子らは、その切り分けた部分と、頭と、脂肪とを祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい。

■部分に切り分ける

新約聖書より適用
第1コリント12:27
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。



     
切り分けられた理由は、教会がキリストのからだであって、各自が一部分であることを表している。
キリストとの一体性を常に忘れないようにしましょう。
  

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レビ記1:9
内臓と足は、その人が水で洗わなければならない。祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

  

■内臓と足を洗う

新約聖書より適用
ヨハネ13:3〜15
イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
  
     
内臓=精神の部分(心であり知性、感情、意志)
足=毎日の信仰生活の歩み その人が洗う=本人がするべきこと
聖化=信仰の歩みの中で、日々聖められキリストの姿に変えられていく

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レビ記1:9
内臓と足は、その人が水で洗わなければならない。祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

■なだめのかおりの火によるささげ物 

新約聖書より適用
ピリピ4:18
私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。

聖徒の必要のために援助することが神に喜ばれる供え物=キリストのからだを愛すること
聖霊による燃える神への愛が自己中心の肉の心を焼き尽くす

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レビ記1:10〜13
しかし、もし全焼のいけにえのためのささげ物が、羊の群れ、すなわち子羊またはやぎの中からなら、傷のない雄でなければならない。その人は祭壇の北側で、主の前にこれをほふりなさい。そして祭司であるアロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。また、その人はそれを部分に切り分け、祭司はこれを頭と脂肪に添えて祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい。内臓と足は、その人が水で洗わなければならない。こうして祭司はそれら全部をささげ、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは全焼のいけにえであり、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

■羊またはやぎのささげ物

新約聖書より適用
ヤコブ4:8
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
     
羊=素直さ、優しさ、弱さ やぎ=頑固さ、歪み、愚かさ
人の心(精神)は二面性がある(良い心と悪い心、素直さと強情さなど)
精神を全て主のためにささげる=心を使う=仕える


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レビ記1:14〜15
もしその人の主へのささげ物が、鳥の全焼のいけにえであるなら、山鳩または家鳩のひなの中から、そのささげ物をささげなければならない。祭司は、それを祭壇のところに持って来て、その頭をひねり裂き、祭壇の上でそれを焼いて煙にしなさい。ただし、その血は祭壇の側面に絞り出す。

■山鳩と家鳩のささげ物

新約聖書より適用
ルカ23:46
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
     
鳥=翼をもつ=風のように空を飛び回る=霊を象徴している
鳩=聖霊または人の霊 山鳩=自由を象徴 家鳩=従順を象徴
イエス様は愛のゆえに存在そのものである霊をもささげられたように、私たちも愛のゆえにそうするのです。

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レビ記1:16
またその汚物のはいった餌袋を取り除き、祭壇の東側の灰捨て場に投げ捨てなさい。

   

■餌袋を取り除く

新約聖書より適用
ローマ8:3〜4
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。


餌袋=鳥の胃袋=肉に属するもの 霊は腹である肉の欲に仕えるものではない。神に仕えるもの。

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レビ記1:17
さらに、その翼を引き裂きなさい。それを切り離してはならない。そして、祭司はそれを祭壇の上、火の上にあるたきぎの上で焼いて煙にしなさい。これは全焼のいけにえであり、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

■つばさを引き裂く

新約聖書より適用
ローマ6:16〜19
あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。
    

翼=自由の象徴
イエス様は、私たちの罪のために黄泉の捕らわれ人となられた。
私たちは、十字架に表された神の愛を信じて捕らわれ人となる。
   

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レビ記2:1〜3
人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らのところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。

■小麦粉のささげ物

新約聖書より適用
マタイ4:4
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
  
     
小麦粉は、世界的に主食の原料として食されていた。特にパンを焼くことにおいて。
霊の主食であるパンとは、神のことば。すべての人のための霊の糧。
  

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レビ記2:1〜3
人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らのところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。

    

■油を注ぎ乳香を添える

新約聖書より適用
エペソ1:20〜21
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
       
乳香=神への薫香。王だけが使うことができた。乳香の煙には強い殺菌力がある。
王として油注がれたイエス・キリスト。
神のことばであられるキリストこそ私たちを治められる方。
  

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レビ記2:1〜3
人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らのところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。

■記念の部分として

新約聖書より適用
マルコ14:9
まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。
     
記念=覚えておくこと、忘れてはならないこと
キリストは私たちを治める油注がれた王。
その方が私たちのために神へのささげ物となられた。
それは神との交わりにおいて忘れてはならないこと、いつも覚えておくべきことの一つ。

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レビ記2:4〜10
あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。

■かまどやなべで焼いた

新約聖書より適用
ヘブル5:8〜10
キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。

かまどとなべ=神の裁き、精錬する、きよめ
キリストは、人生を通して試みを受けられ、罪のない人生を証し、私たちの罪のために裁かれた。

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レビ記2:4〜10
あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。

   

■パン種を入れてはいけない

新約聖書より適用
第1コリント5:7
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
 
パン種=不純なもの、全体に影響するもの、不信仰なことばの種
混ぜ物のない純真な神への信頼を失わないように。

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レビ記2:4〜10
あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。

   

■粉々に砕く

新約聖書より適用
ルカ22:19
それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
    
粉々に砕く=へりくだり、悔いくずおれた魂、献身
私たちのために与えられたキリストのからだは、砕かれることによって一人一人の個人的救いを表している。
 

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レビ記2:11
あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。

■パン種と密を入れてはならない

新約聖書より適用
使徒4:12
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

蜂蜜はパン種同様、発酵しやすいので腐敗の概念と結び付けられた。
神へのささげ物となられた小麦であられるキリストの完全性を象徴している。キリストだけが神の裁きをなだめる唯一のささげ物。

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レビ記2:12
それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。

    

■焼かない初物のささげ物

新約聖書より適用
ローマ6:13
また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
       
初物をささげる=主をおそれる心、主を第一とする敬虔な心
蜂蜜やパン種は入ってもかまわない=罪を宿す肉による不完全な信仰生活
これは焼いてはならない=罪人は、神をなだめる供え物とはならない
  

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レビ記2:13
あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。

■契約の塩を必ず入れる

新約聖書より適用
ヘブル13:8
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
     
塩=非腐敗性、不変、恒久性を象徴している
契約=約束したことの両者の関係が結びあわされたことを表す
キリストは、私たちの救いのために神との間における恒久の契約となられた

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レビ記2:14〜16
もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。

■初穂のささげ物

新約聖書より適用
コロサイ1:15〜18
御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

初穂=畑にできた最初の作物。収穫の最初の一束→神のひとり子=神のもの
キリストは万物の初穂、すべてのものの初めであられる方。
→主をおそれる姿勢の証として初穂のささげものをする

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レビ記2:14〜16
もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。

■種を火にあぶって砕く

新約聖書より適用
マルコ10:45
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
 
火にあぶって砕く=試みを受けられ、砕かれたキリスト
私たちにいのちを得させるために仕えるものとなられたキリスト

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レビ記2:14〜16
もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。

■初穂の穀物のささげ物

新約聖書より適用
マルコ4:28
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
    
キリストは、初穂のささげ物としてこの地に蒔かれた。
芽が出る=12才のとき神殿において律法について論じ合った
穂がつく=30才で公の働きをされた
穂の中に実が入る=3年間の働きの実である魂の救いが実現した