■2026年8月16日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
見性自覚(けんしょうじかく)
主題聖句(箴言19:22)
人の望むものは、人の変わらぬ愛である。貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。
今年の夏期聖会のテーマは「MOVING BY SPIRIT 再燃ー愛と慎みの霊によってー」です。
御霊との関係を深め、御霊の声を聞き分けられるよう、今から準備していきましょう。聖霊様との関係にはへりくだりが大切です。
【御霊による働き】
『見性自覚』(けんしょうじかく)
自身の生まれつき持っている性質を悟ること
「見性」とは自身の本質を見極めるという意味があります。クリスチャンにとって私たち人間の本質は何でしょうか。神の御姿に似せて造られた者ということです。
しかし、私たちには原罪があります。そのため生まれながら悪でもありますが、造られた目的、根本は善でもあります。
もともとアダムの子孫であるすべての人は神の形であり、神の良いものを受け止めていく器として創造されたのです。
【起きよ。光を放て】
(イザヤ60:1)
起きよ。光を放て。
あなたの光が来て、
主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
光…神のご性質を表す。みことばであり、人を照らすまことの光。この光は神のことばであるキリストのことです。
起きよ…眠っている状態から目覚め、いのちのことばであるキリストの光を人々の前に輝かせよと言われています。
あなたの光が来て…ひとりひとりに神のみことばがピンポイントで光のように与えられています。
主の栄光があなたの上に輝いている…そのみことばがあなたがたを通して人々に見える形で表されます。あなたがたの生活の中でみことばが実を結ぶ形で表われていくとき、周りの人々に神の栄光の輝きが証しされていきます。
神は、今あなたに必要なみことばを与えてくださっています。自分の本質に目覚めて、いただいているみことばの光を周りに輝かせていきましょう。
あなたの本質は神の子であり、キリストの姿と同じ姿に変えられていき、キリストが再臨されるときに完成されます。
その完成されるというみことばの約束を信じて、日々諦めることなく鍛錬し、練りきよめられていきましょう。
神はあなたがたを通してご自分のみことばを実現するようにご計画されています。
見えない神が表されるために私たちをご自分の形に似せて造られたのです。私たちの存在は神ご自身の存在を証明しているということです。
神のみことばは真理です。真理は必ずそのようになります。必ずなると信じて実行していくなら必ず実現します。
日本の技術者も理論(真理)を実現し形にするために日々研究し開発を続けています。失敗を重ねても、その失敗を活かして次に進んでいるのです。
クリスチャンも尚更、この真理を実現し、神の栄光を表すために日々進んでいきましょう。
今は終末のとき、暗闇が世界を覆っています。しかしキリストが再臨されるとき、すべての悪は滅ぼされます。これが私たちの希望です。
それまでひとりひとりに与えられた光を、この闇の世界に輝かせていきましょう。
〈人が切望しているものとは?〉
《魂が強く求めているもの》
(箴言19:22)
「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。」
この2つの節は関係しています。
《変わらぬ愛である》
ヘブル語では、神を愛する敬虔さ、信心深さであり、善行、親切、慈愛、憐れみです。
つまり、人の望んでいることは、変わらない神からの善行、親切、慈愛、憐れみなのです。
人は根本的にこのことを求めています。これが人という存在そのものがもっている望みです。
この必死な根本的な願いのゆえに、答えてもらえないという自己中心な判断により、恥辱、悪事という心に転じてしまう人がいます。
神に対する敬虔な心、神を求める心こそが人の本質ですが、その渇きの本質に気づかず、神への熱心さが疑いに変わってしまった時に、神を否定し反抗していくクリスチャンもいます。敬虔な心がないと懐疑的になり、反抗的に変わってしまうのです。
{箴言19:22の説明}
「人の望むもの」と「貧しい人」の共通点は、どちらも強い欲求があるということです。
望んでいるものを求め続けていくと、神の前に心が砕かれていきます。
何故まだ答えられないのかと、自分の心を吟味し、自分の生活全般を吟味し、少しでも御心に近づけるように心を砕いていくのです。これが人の望むものです。
貧しい人も全く同じです。極限の貧しさの中にあるひとは、もう神にしかすがる方はいないという心が砕かれた状態になります。それゆえ、神は「貧しいものの神」とご自身のことを言われています。
しかし究極の貧しさは、神に切望する場合と、神を呪う場合があります。
ここまでしたのに、神は答えてくださらないという不満です。これは行いによる義を示そうとしている自己義にすぎません。
神にしか希望をもてないという究極の精神状態を表しているのが「貧しい人」です。
敬虔な人はどんなに苦しみにあっても絶望せず、神に求め続けます。
「私はこんなにしてきたのに、どこが悪いのですか?」というのはヨブの姿勢です。
しかし、神はご自身の偉大さ、義を示されることで、ヨブの自己義を砕かれました。
私たちはもっとへりくだり、自分で自分を砕いていきましょう。神への心砕かれた姿勢こそが、貧しい人です。
『愛=信心深さ=親切=憐れみ』
『まやかし=ごまかし=偽物』
神があなたの願いに答えないと言われていないのなら、求め続けましょう。
もう駄目だと決めつけないで、命がけで神に願い続けましょう。そこまで熱心に求めていくのが敬虔な心です。
神 は願いに答えてくださる愛なる方だと心から信じて、その敬虔さを神に示し続けましょう。
《まとめ》
砕かれた魂は、貧しい人のように、神に憐れみを求め続けるが、まやかしをいう者は、神に責任転嫁してごまかす。
これはアダムとエバが罪を犯した後の神への言い訳です。自分たちが罪を犯したのは、神のせいだと言ったのです。
《デボーション》
魂が求めている本質とは?→敬虔な心で神と向き合うこと→神に憐れみと恵みを求めること→砕かれた心で赦しを求めること
自分は罪に弱い者という自覚が心を砕くことにつながります。
この自覚が砕かれた心で主を求めることにつながります。
自分がどれほど弱く未熟な者であるかという自覚が自分を低くします。
パウロは自分は罪人の頭であると告白し、自分の罪深さを認めました。
イエス様はピラトの前でも黙って、罪人として処刑されることを受け入れられました。
神である方が十字架に釘づけられ、死にまで至るほどに人々から蔑まれたのです。
私たちはこの神に対してどれほどへりくだって、砕かれた心をもてるでしょうか。
神の赦しの深さ、愛によって生かされてることを知り、謙虚に神の前に出ていくことが人の本質です。