■2019年5月12日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

到達を待つ忍耐 

主題聖句(第2ペテロ3:15a)
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。

 

その人が目標に至るのを待ち続ける忍耐。
たとえ時間が過ぎても完成するまで待ち続けてくださる神は、
私たちにとって救いである。

 神様は、時間を守ることも大切だけれど、たとえ時間までに到達しなかったとしても、時間を超えてでもゴールインすることを喜ばれています。神様が私たちのことをそのように思ってくださっているのなら、私たちもお互いに、時間を守ることよりも大事なことがある、と気付く一週間でありたいと思います。

1.時はすでに過ぎている(ルカ13 :6 −9 )  
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」 ルカ13章の前節のところでは、災難、事故、病気、自然死、なんであれ、人がもし悔い改めないまま、即ち神様の前に不敬虔を捨てて立ち返ることをしないまま死んでしまうなら、どんな死に方をした者であっても、みな同じように滅びてしまいます、ということが語られていました。このいちじくの木と番人のたとえ話はその続きです。
★いちじくの実⇒悔い改めて、神のもとに立ち返るたましい。
 「実」というときに、地上での業績や能力による成果なども要求されますが、神様は出来の良し悪しではなく、その人が神様を畏れる心を持つことを優先的に見られます。悔い改める心が残されている、そういう魂を神様は見捨てたくないのです。
 罪が裁かれることは決まっていますが、その裁きがくだるまでに心改めて神のもとに立ち返り、神の存在を認め、神が主権者であることを尊んで敬虔な歩みをする、そういう可能性が少しでもあるならば、神様はその人を生かして、悔い改めの機会を与えてくださっている、というたとえ話であります。
 私たちはいちじくの実を実らせているでしょうか。一回きりでなく、毎年季節が来れば実がなるように、信仰生活の中で悔い改めるべきことがいろいろ出てきているはずです。悔い改めた敬虔な心を保つために、更にいつも心を見張って、神様の存在を尊んでいく姿勢を失わないように、イエス様に喜んでいただける実を結んでいきましょう。
 時はすでに過ぎています。悔い改めることができていることにおいて猶予があると勘違いしてはいけません。いつ刑が執行されても当然の時期に来ていることをわきまえていきましょう。
★ぶどう園の番人⇒救い主イエス・キリスト  
 罪を裁かれるのは神様のなさることです。しかし、裁きをくだされる前に愛とあわれみを神はお示しになりました。それが救い主イエス・キリストです。
★番人の忍耐は、あわれみによるもの 
 番人(イエス・キリスト)は、いちじくの木のために主人に「もう一年待ってください。」と執り成しをしています。切り倒すのはかわいそうと、あわれまれたのです。
 どんな木も、実も、それぞれ成長には差があります。皆同じ、ではありません。私たちも一人一人みな違います。
 時期は決まっているけれど、その時期までに悔い改めることが出来なかった人たちが残されている、というところに神のあわれみが向けられて、その人たちが悔い改めに進むことを、忍耐強く待ってくださっていることを覚えておきましょう。
 自分もすでに三年もたっているイチジクの木であるにも関わらず、まだ悔い改めの実をしっかり実らせていない者であり、救い主イエス様は今も天で「切り倒すのを、もう少し待ってください」と神様に執り成してくださっていることを覚えていただきたいと思います。

2.主は何を待っておられるのか(第2ペテロ3 :9)  
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
★「おそいと思う」⇒神の存在を否定する不敬虔につながる。
 私たちは自分の問題になると、つい「神様、遅い」「あの人、遅い」と、さばいてしまいます。それは神様を疑い否定する不敬虔につながります。神様は絶対のお方、完璧で失敗のないお方、すべてご計画の中にあって、ことを進めていく深い悟りをもった知者であられます。
 自分中心の時間感覚で、神様のなされることに対して「遅い」と不信感を持たないように気をつけましょう。そのように感じるときは、「これが神様の予定通りなんだ」と受け止めることが信仰ではないかと思います。
★「忍耐深い」⇒すべての人への深いあわれみ     
 世界の70数億人の内の一人くらい見逃して滅んでしまってもいいか、というような人間的な考えではなく、神様は一人でも滅びることを願っておられません。
 聖書の預言のみことばがまだ成就していないと思われるときには、世界のどこかの誰かこれから悔い改める一人の人のために、神様は忍耐深く裁きの時を遅らせておられるのだと受け止めていきましょう。
 今までの10年で私たちはどれだけ整えられたでしょうか。それを思うと、これからの10年は決して長くはありません。皆さんもスピードをアップして、主の再臨のための備えを心掛けていただきたいと思います。
★「滅びることを望まず」⇒滅ぼすことが目的ではない 
 私たちはこの世に生まれた時から「死」に向かっているようなものですが、聖書には私たちは生きるために生まれたと書いてあります。本来は「死」と無縁でありましたが、アダムとエバの罪により「死」が入ってきました。
 しかし、神様はもっと素晴らしいことを考えておられました。罪を犯したということを通して、神のあわれみ深さ、神のきよさ、神の力強さ、神様の存在そのものをすべて現わすことができる状態になったということです。人は死ぬためではなく、神と共に生き続けるために造られました。神様は、信仰によって義人は生きるということを前面に打ち出して、すべての人が救われて永遠のいのちに至る道をイエス・キリストを通して完成してくださったのです。
★「悔い改めに進む」⇒人々の不敬虔の心が変わること
 不敬虔の心が変わっていく進み具合は人により違います。少しづつ変っていくという人もいれば、ガラッと大きく変わる人もいます。人それぞれです。誰もがまだ完成してはいないのですから、その違いを互いに裁かないようにしましょう。
 互いに憐れみ合って、自分も神様が悔い改めに進む機会を今も与えてくださっている身であると、謙虚に受け止めましょう。
 悔い改めが早い遅い、小さい大きいなどと人を評価しないでください。神様は一歩でも半歩でも悔い改めに進んで滅びることのないように、永遠の命に向かって日々神と共に歩む人生を怠らないようにと願っておられます。
 また、自分で自分の信仰を見て色々と思うことがあるにせよ、神様の心は、一人も滅んで欲しくない、忍耐深く悔い改めに進んで欲しいと、忍耐して待っておられるのだということを覚えておいていただきたいと思います。

【デボーションポイント】  
◎隣人への「寛仁大度」(かんじんたいど)は、その人が救われるためである。
★「寛仁大度」の意味
心が広くて、度量が大きく、慈悲深いこと。
 隣人に対して私たちが心広くして度量を大きくして慈悲深くするのは、その人が滅びないで救われてほしいからです。なぜなら私たちも神様から寛仁大度の姿勢で今も憐れんでいただき、チャンスを与えていただいている者だからです。
 「あと一年猶予をください」と番人が言ったように、イエス様は今も私たちのために、少しでもキリストの姿に近づくことができるように、時間を与えてくださいと執り成してくださっています。
 特に今週は、「この機会、この時間が与えられているんだ」と感謝して、悔い改めるべきところを悔い改め、自分の内側が変えられていくように毎日を敬虔に過ごしていきたいと願います。

【俳句】
思い出す  口癖のことば  母の日に
 「車の運転だけは気を付けてね」これは口癖のように言って心配してくれていた亡き母の忠告のことばでした。
 同じように神様も親心として私たちの幸せを願って「互いに愛し合いなさい。互いに赦し合いなさい」と口癖のように私たちのきよい良心にいつも語ってくださっておられることを重ね合わせてみました。
 母の日でも母はいません。あの言葉も聞けなくなりました。しかし、それを聞ける日として母の日を迎えることによって、しみじみと母の言葉を思い起こし、親の愛を一段と深く実感する、そんな気持ちを詠んでみました。