■2024年9月8日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊は必須

 

主題聖句(ガラテヤ5:16)
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


 最近は、誠実な人が騙され裏切られるような、希望がない社会です。クリスチャン同士も完全ではありませんから、誠実なつもりで歩んでいるのですが、自己中心の罪の性質というものが影響して、結局は自分の利益につながっていってしまうという、そんな世の中です。
 
 しかし最後は,全世界が私たちを見捨てても、神様は決してお見捨てにならず、愛を示し続けてくださるお方であるということが、クリスチャンにとって一番の望みです。

 神様は、創造の初めから今もなお創造の御業をなしておられ、最後には神の国を完成させられます。

 黙示録には、人は最後には「神の国」(天国)か「火の池」(地獄)か、2つの場所のどちらかで永遠を過ごす、ということが書かれてあります。永遠のいのちに至る人々と、永遠の滅びに至る人々の、二つに分けられるということなのです。
 
 地獄は、「悪人が受ける報いの場所」「苦しみを受けるところ」だと黙示録に書いてあります。悪が好き、という者たちが全員集められて、互いに悪を図り合い、争い合って、害を受けながら害を与え合い、永遠に苦しみが終わらない、平安のない世界が想像できます。
 
 イエス・キリストを信じる者は、永遠に罪が赦されています。そして、神の子として新しい人生を始め、そして神の国に入り、神の国を相続する神の子としての、永遠の神の国のご計画に進んでいくことになります。
 
 神様は、私たちが神の子として相応しい生活をすることを願っておられます。だから、神の子としての自覚をもって人生を生きて行くことは、私たちの、神に対する誠実な姿勢なのです
 罪人ですから失敗もあります。なかなか治らない罪もあります。治らないからと言って、罪から離れるという誠実な努力を止めてはいけません。この世を去る最後の時まで、またはキリストの再臨の時まで、誠実さを(信仰を)保ち続けてください。
 
 神の子としての神の御霊を迎え入れることが出来るためには、誠実さが必要です。神の子としてのいのちを受け止めるために、あなたの心が神に対して誠実であることが、唯一の条件なのです。

 失敗は失敗と認めて告白し、同じ失敗や同じ罪を犯さないように、神の御霊と共に歩んでいく、これが御霊によって歩むということです。
この誠実は私たちを赦してくださった神様のあわれみに感謝する心からわきあがってくるものです。
 
 皆さんは神の子です。神の子として最後まで全うできるために、神の霊である御霊を、賜物として受けることが出来ます。信じる者は誰でも受けることができます。もしくは受けているのです。

 それを前提に、神の子としてのクリスチャン生活を始めていきます。初めは失敗が多くても、少しづつ成長して、段々と失敗が少なくなっていき、改善され、造り変えられ、段々と赦せるようになり、同じ罪から離れていけるようになります。それが、誠実さ(信仰)です。
主題聖句
(ガラテヤ5:16)
「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」

 主題聖句の観察
   「私は言います」

※確信に満ちた力強い勧めと励まし
 罪の誘惑に陥りやすく、すでに陥っていた人もいたと思われるガラテヤの教会の人々に手紙を当てて、パウロは「私は言います」と強調しています。
 
 その心は、「大丈夫だよ、この手紙に書かれてあることを守れば、絶対ゴールにまで行き着くことができるから」という確信に満ちた力強い勧めと励ましでした。

※御霊の啓示と深い交わりによる実践からくる信仰
 パウロ先生がユダヤ教から回心してイエス・キリストを信じるようになった時、しばらく荒野で、聖霊様との交わりの時間を過ごしました。そのときに、パウロ先生は、旧約聖書から新約聖書が生み出されていくような真理を啓示され、悟らされました。
 御霊様との関係はとても大事です。内におられる御霊様が、みことばの意味を深く教えて、目を開いてくださるからです。パウロ先生はそれをよく体験していたので、私たちに「御霊によって歩みなさい」と勧めておられるのです。

Ⅰ.御霊は必須
①Ⅱコリント1:22
「神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」

※神の約束の確認の印であり保証である。
 日本では契約書に両者が署名し捺印します。どちらか一方でも印がないと契約は無効になります。
 
 神様との契約書への、私たちの署名と捺印は、水のバプテスマです。そして、神様からの契約の証印は、御霊です。
双方の押印があって初めて、契約書は有効となります。
 
 「悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けた者は、賜物として聖霊を受ける」と聖書に書いてあります。

 心を開いて信じるだけで、聖霊様は内に住んでくださいます。信じたと同時に聖霊を内側に迎え入れたと受け止めるのが、神様への誠実な応答です。
 
 では、内に頂いた御霊によって、私たちはどう生きて行くのでしょうか。私たちの誠実(信仰)が問われるところです。

②ローマ8:14
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」
※神の子として生きる人は、御霊に導かれている人。
 罪の赦しの目的は、赦された者が、神の子(御霊に導かれる人)として新しい人生を生きることです。

③ローマ8:9
「もし、神の御霊があなた方の内に住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」

※キリストの御霊を持つ者は、キリストの御からだの一部である。
 「キリストのものとなる」というのは「聖別する」ということです。「聖別」とは、分かつこと、分離することです。どのように分けられるのでしょうか。
 
 初めに、神は天と地を創造されました。聖別されたのです。 神様はこの世の罪の人々の中から、私たちを聖別しました。キリストのものとして、キリストの働きをする神の子どもたちとして、私たちを分けられました。
 
 キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。信仰を持っていても御霊を持っていなければ、キリストに属していない、聖別されていない、ということです。
 
 クリスチャンは聖別されています、不敬虔なこの世から分離されて敬虔な群れに入れられています。キリストのからだに組み合わされているのです。

 キリストのもの、キリストに属する者となったのですから、不敬虔な人と調子を合わせる必要はないのです。
 
 クリスチャンも神の前に立って一度裁きを受けることが定まっています。御霊を持ったクリスチャン、誠実に歩んだクリスチャンは、御国を相続する者として御国に入ることができるのです。
【デボーションポイント】
※信じる者に内住される御霊との関係がいかに重要であるかを認識し、かかわりを深める実践をする

 あなたの内におられる聖霊様と親しくなってください。交わりを通して親密な関係を築いてください。そして間違いのない神の子としての御霊に導かれた歩みを、建て上げていきましょう。
 
 それは実際にどういうことなのかを、聖書を読み、信仰書を読みなどして、自分なりに祈り、考え、チャレンジしてみてください。これをおろそかにしていると、神への誠実さが弱ります。

【俳句】
 御霊との  交友つづけ  進み行く

 大事な御霊様との関係を今からでも体験してください。求め、祈り、チャレンジしてください。みことばを読んで黙想してください。兄弟姉妹と交わって信仰の分かち合いをしてください。徳を高める交わりをしていきましょう。