■2024年7月14日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊に生きる教会

主題聖句(ガラテヤ5:25)
もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。


 7月13日(土)導き①
 イエス様がどのような御方であるかを知っていけばいくほど、律法的なクリスチャン生活から解放されます。
 一般的な世の中の様々な肉的なことから離れることを、律法的に受け止めてしまうと自由がなくなってきます。
 
 イエス様は今日というありのままの私たちを受け入れてくださっていますが、それは、明日も変わらないでいいというわけではありません。
 
 私たちは栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくのです。これが聖霊様の導きです。
 何も霊的に特殊なことを体験しなくても、クリスチャンにとって霊的とは、主を畏れる生活を忠実にしていくことです。神の愛と救いの召しは変わることはありません。

(ヨハネ15:26)
「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」
 御霊と私たちの人格的な関係が大切です。聖霊様が分からないという人がいますが、この世的な考えで聖霊さまを見つけようとしてもそれは無理です。
 主を畏れる心をもって、内面的な五感、魂でふれることができます。そして御霊以外を通してイエス様を知ることは難しいことです。最初からすべて分かるわけではありません。

1)(イザヤ書 6:8)
「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」
 ここから三位一体が分かりますが、これも御霊によらなければ悟れません。イザヤは預言者であり祭司です。
 
 この箇所はイザヤが成長するほど自分の罪深さが見えてきて、主の働きにふさわしくないと思っていた時に清めを宣言され、告げられたことばです。
 
 「われわれ」と複数形でありながら、神はおひとりであるという真理を3次元に住んでいる私たちには理解できません。ただ聖霊さまが私たちの知識を超えて、魂に証ししてくださいます。
 その三位一体の神様にふれられていくと、神を畏れるという感覚に自然に入っていきます。三位一体の地上での表れがイエス・キリストであり、父なる神、聖霊なる神が主イエス・キリストというその御名の中に表されています。

2)(イザヤ45:21)
「告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、主ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。」
 
 人から私たちは色々な評価を受けます。しかし、相手の価値観からの評価が正しいかどうかは違います。
違う評価をされて傷つく人もいるでしょう。
 神様が唯一ご自身を弁明され譲られないのは「わたしのほかに神はいない」という一点です。
 
 日本では理解できない考えです。色々な神がいて平和に平等であってほしいという考えだからです。
 最近では、神がおられるとも思わない日本人が多くなりました。それは肉の目でしか見ないからです。昔の人は精神的に人生を考え求めたので、神によって万物は成り立っているという境地に至る人が多かったと思います。
 
 唯一の神、創造主である方がイエス・キリストであると教えてくださるのが聖霊様です。これを人間的に考えても理解することはできません。

(イザヤ29:16)
「ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えようか。」
 
 ヒューマニズムや人権の考え方に注意しないといけません。陶器と人間を同じに考えるなと不快に思う人は、ヒューマニズムにとらわれています。命は神から授けられない限り存在しません。命の元は神様そのものです。神が自由意志を与えてくださっているので、不遜な考え方もできるのです。
 これを悟らないと、イエスを主と信じることはできません。いくら自由公平と言っても、秩序がないと真の自由はありません。
 秩序のない自由は放縦です。建物も秩序がなければ建ちませんし、建ってもすぐに壊れてしまいます。会社も組織としての秩序を失うと壊れてしまいます。
 秩序がなければ組織は成り立ちません。大きなものが成り立つのに秩序は必要です。
 無秩序が拡大していくと善悪も見極められなくなり、欲望優先の不道徳な社会になっていきます。
 
 私たちはこの無秩序な世界に流されないように気をつけないとなりません。
 私たちは神様のすべてを理解することなどできません。限界があります。被造物と創造主とは全く違うのです。私たちはイエス・キリストは万物の唯一の造り主と認め、その主権を認めないとなりません。

 二分するという神様のお考えがあります。神は初めに無から天と地のふたつを造られました。そして暗闇と光に分けられました。
 
 創造されるのに、日本語訳の聖書では「区別された」という言葉が使われています。「ひかりとやみを区別された」「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」というように。
 
 区別というのは差別ではありません。ふさわしいもの同士が集まるというのが区別です。
 
 最後に神様は永遠の世界をふたつに区別されました。神の国と火の池です。なぜ火の池が永遠に存在し続けるのかずっと疑問でした。
 しかし万物の創造主なる神は、ふさわしいもの同士が集まるように造られました。そのどちらかが無くなるということはありません。どちらも永遠に存在し続けるのです。
 
 私たちは神の国にふさわしいと認めてくださって永遠に神の国に入れてくださいます。
 しかし、神を決して認めない悔い改めないものは、その罪のふさわしい悪が永遠に存在し続ける場所である火の池に行くのです。
 
 良いものと悪いものが混ざらないように、永遠に存在するようにそれぞれふさわしい永遠の世界に入れられるのです。
 神はふさわしいものを区別するために、創造されているということに気づいてください。この地上の時間はどちらにふさわしいかが決められていく時間です。
 
 聖霊は永遠の神の国に導いてくださっています。善を求めきよさを求め悪から離れる道を選択し、聖霊の導きに従っていきましょう。
 最後まで神の国に行き着くまで、迷いを捨てて、神の子としてふさわしい決断をしていきましょう。

3)(ローマ5:5)
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
 
 聖霊樣が注がれているので、神が私たちを愛してくださっているということを信じられます。
 「あなたが必要だからあなたを愛しています」と「あなたを愛しているからあなたが必要です」の違いは何でしょうか。
 この世は、あなたが自分に価値があるから愛すると言い、神は無条件に存在そのものを愛していると言われます。そこに能力の差も価値のあるなしも関係ありません。
 天国にあなたが必要です。神はあなたを愛しておられます。愛に理由はありません。
 イエス様はあなたを愛しているので、十字架であなたの罪を負われたのです。教会はこのイエス様が満ちておられるところです。

(エペソ1:23)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」
 御霊に生きる教会とはこういう教会です。私たちは教会です。キリストの体です。イエス様が、聖霊様がみちみちておられます。
 9つの熟した実があなたの内に存在しています。あなたはもう許す愛を持っています。だから許しましょう。喜びましょう。
 
 この9つの実を積極的に用いていきましょう。
肉は反発し、嫌な感情は出てくるでしょう。しかし、あなたの本心は御霊の9つの実です。意志によって選び取りましょう。
 
 御霊により神様の愛を知ると、選び取りやすくなっていきます。肉の感情が強まるときこそ、御霊の助けによって9つの実を表すチャンスです。
7月14日(日)導き②
「羊は羊飼いの声を知っている」
(ヨハネ10:27)
「私の羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」
 
 今年の聖会のテーマ「御霊に生きる教会」は、「御霊の9つの実に生きる教会」ということで、「愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・柔和・誠実・自制が満ちている教会」のことです。
 教会の一人一人が9つの実に生きています。教会の皆さんは、御霊の9つの実が内側から現れてくる、そういうクリスチャンなのです。
 御霊の9つの実は、クリスチャンに与えられる神様からのプレゼントです。プレゼントをどのように使うかは、与えられた人の責任です。他のものに気をとられていると、プレゼントが無駄になります。
 イエス様を信じている皆さんは、必ず聖霊様が内におられて、聖霊様が持っておられる9つの高徳の実を一緒に持っています。

※そうでありたいと願いましょう。御霊の助けによって出来る、と確信しましょう。

 御霊の9つの実に生きる人生でありたい。愛する兄弟姉妹とその人生を共に歩んでいきたい、そういう願いが与えられ、強められることが、この聖会のまず初めのポイントです。
 願いがあっても弱い、ということがあります。9つの実を用いようと思っても、しんどいとか、もっと好きなように自由にやりたいとか、そういう心が自分の内側にあると気付いておられますか?
 
 自分の力だけでは出来ません。御霊の助けが必要です。御霊の助けによって出来る、と確信しましょう。

 広島県の福山の中学生、三好美羽さんのお話を紹介いたします。彼女は、百メートル11秒57という日本中学記録の保持者です。そして全国の女子100メートル走決勝への出場資格を持っておられます。
 
 彼女の走法は独特です。地面に着く足に体重をかけながら走ります。体は揺れますが、瞬発力が強くなり、それで速く走れるということなのです。
 
 彼女は早く走るために自分でも熱心に研究しましたが、だめでした。しかし、コーチのアドバイスを聞いて、それを熱心に練習したところ、素晴らしい成績を残せるようになったのです。
 私たちも、神の子としての才能が与えられています。助け主聖霊様は、私たちが力を100%出せるようにと助けてくださいます。
 
 聖霊様は、内側から9つの実を現すことが出来るための良きコーチです。一緒に苦しみ、一緒に考え、一緒に一歩づつ進み、私たちを成長させてくださる良きアドバイザーです。私たちは聖霊様のコーチングをしっかり受けなくてはいけません。
 今日の主題聖句を見てみましょう。

【羊は羊飼いの声を知っている】
(ヨハネ10:27)
「私の羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」

①「私の羊はわたしの声を聞き分けます」
 羊が聞き分けるのは、自分の羊飼いであるかどうか、だけではありません。叱られているとか、励まされているとか、羊は羊飼いの声を通して、羊飼いの思いや気持ちを聞き分けることが出来ます。
 
 私たちも、家族のように親しく長く聖霊様と一緒に過ごして、コミュニケーションの時間を多く持ち、交わりを深く持つことが出来るようになると、聖霊様が今どういうお気持ちで私たちに何を教え諭そうとしておられるのか、忠告であったり慰めであったり、その声を聞き分けることが出来るようになります。
 
 聖霊様は、私たちが善悪を見分けられるように助け導いてくださる良きコーチ、良きアドバイザーです。聖霊様の助けを頂いて、正しくコーチングして頂く時、私たちは神の子として成長出来るのです。

②「またわたしは彼らを知っています」
 この「知っています」というのは、表面的に知っているのではなく、寝食を共にし、一匹一匹が顔にも動きにも違いがあると分かって、それぞれに名前をつけて呼べるほどに、そんな深い愛の関係で、羊飼いは羊を「知っている」と言われます。
 
 神様は私たちの心のすべてをご存じで、どのように反応し、どのように反抗するかまでもご存知です。だからこそ私たちを永遠の御国に導いてくださる良き羊飼いなのです。

③「そして彼らはわたしについてきます」
 イエス様の羊はイエス様の声を聞き分けて、ついていきます。
 私たちも、みことばを実行し、失敗しても諦めず何度でもチャレンジしていきます。それがイエス様を信頼し、従っているしるしです。

※今、羊飼いイエス様の声を聞き分けることが出来ています!
 その声についていきましょう!
 神様は善と悪を見極めることの出来るお方ですから、神のかたちに似せて造られた私たちも、善と悪を見極めることの出来る者として創造されています。
 
 アダムとエバは、善悪を知る木の実を食べてはいけないと言われていました。先に「いのちの木」から食べる必要がある、というのが神様のお考えだったのです。
 しかし、アダムとエバは、先に「善悪を知る木」から実をとって食べました。そして人類は自分の欲望を基準として、善悪を判断するものとなってしまいました。

 「いのちの木」とは、神のことばイエス・キリストです。ことばなる神そのものを信じ受け入れて、それを心にもってこそ、善悪の基準を見極めることが出来ます。聖書のことばは、神のくださる食物です。興味をもって聖書を学び、味わい食して、その美味しさを知ってください。それはクリスチャンの実践です。
 
 みことばを食し味わうという基本が出来ていないと、みことばの美味しさを知らないので、欲望の方に引きずられるクリスチャンになります。欲望の力は強いのです。
 
 しかし、諦めてはいけません。私たちは弱くとも、聖霊様は力あるお方です。求めましょう、探しましょう、叩きましょう。諦めずにいれば、道は必ず開かれます。
 
 今日は聖会の最終日です。いま一歩、私たちが前に進んでいくために、聖霊様がコーチとして更に素晴らしいアドバイスを与え啓示を与えてくださいますから、その御声に聞き従ってまいりましょう。

【短歌】

善と悪  聞き分ける心は  羊飼い

キリストの御声  知っているから