■2018年1月14日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
 邪悪な良心のきよめ 

主題聖句(ヘブル10:22)
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

 

 「心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ」とあります。邪悪というのは、ゆがんだ考え方をすることです。良心とは、全人格的意識で、車のハンドルのようです。
 クリスチャンは、いったん良心がきよめられていますが、また邪悪さが出てきます。それは、車のフロントガラスが汚れてしまうようなもので、正しく運転することに支障をきたします。

 同じように、私たちの心に罪汚れがつくと、良心が鈍ってしまい、古き性質が表れてきてしまいます。もし古き罪の性質のしっとやねたみやゆがんだ考えが内から出てきているなら、それは良心が汚れてきているという状況です。

1.そのようなわけとは?
(ヘブル10:19~20)
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」
 生ける道を設けてくださったとは、神様に近づく道をイエス・キリストが準備してくださったということです。
 神様と私たちの間には、近づくことができない大きな壁がありました。旧約聖書では、神殿の至聖所の手前の垂れ幕があります。これは人間では取り除くことのできない罪の壁です。罪の壁を取り除くためには、罪のための贖いが必要でした。人間は罪を犯しているので人間の血ではそれを取り除くことができないので、罪のないお方がこの地上に来られました。だからおとめマリアからイエス様は生まれる必要があったのです。私たちは自分の罪のために死にますが、イエス様は私たちの罪を取り除くために命の犠牲を払って十字架についてくださいました。
 「大胆にまことの聖所に入ることができるのです」とあります。罪を犯したから、神様の前に行くことができないという考えは、ノンクリスチャンの時の考えです。今は、罪を犯してもイエス様の血によって、大胆にまことの聖所に入ることができます。そこで、とがめを持って礼拝に出ることがないように、悔い改めることが必要です。そのためにはへりくだることが必要です。
 このようにして、イエス様の血によって神の前に大胆に出ることができるということが、「そのようなわけで」ということです。これは、知識だけではなく、感情にも意志にも、イエス様の血潮に象徴された愛を感じ取ることが必要です。

2.それでどうなりましたか?
A)心に血の注ぎかけを受けた
 「イエス・キリストが私の罪のために十字架にかかって全ての罪を神様の前に償い、贖ってくださった。それによって私は罪を赦されている。」と、このことを信じ受け入れた人に、「心に血の注ぎかけを受けた」と言われています。血の注ぎかけは、愛の犠牲の血潮なのです。つまり、愛を受けたという意味です。愛を受けることが、心に血の注ぎかけを受けたという意味なのです。

B)邪悪な良心がきよめられた
 神様の純真な愛が、私たちのくもった良心をきれいにクリアにしてくださるのです。私たちも、友人や親の愛、家族の愛を思いみると、私たちの良心はきよくなるのです。愛を思い出すことが、心をきよくする方法です。人の愛でも良心をきよくする力があるなら、神様の愛であるイエス・キリストの十字架の愛そのものを象徴したみわざは、どれほどに私たちの良心をきよくすることでしょうか。いつも愛を思い起こして、いつも良心をきよめていきましょう。

3.からだをきよい水で洗われたとは?
(ヨハネ15:3)
「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。」
 何ができているか、できていないかではなく、イエス様のおことばを受け入れる人はきよいということです。
 弟子たちをきよいと言ってくださったのは、イエス様の話されるおことばを素直にそのまま受け入れたという点だけでした。ほかの行いは以前と変わりませんでした。イエス様のおことばを信頼したので、きよいと言われたのです。
 あなたも、イエス様のおことばをそのまま受け入れるなら、きよいものとされるのです。なぜなのだろうと考えるのはいいのですが、信じられないという、疑う思いを持ってしまうと、きよくなくなってしまいます。
 みことばが私たちをきよいものとしてくださいます。イエス様が私たちに話されたことばによって、私はもうきよいのだと受け入れることです。

4.それからどうするのですか?
A)全き信仰を持つ
(詩篇19:13)
「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。」
 邪悪な心の一番の根本は、傲慢の罪からであるということです。傲慢の罪から守ってくださいと祈りましょう。特に上に立つ者は、傲慢にならないように気をつけましょう。傲慢の罪が、あらゆる邪悪な良心へと私たちを汚してしまうからです。
 「それらが私を支配しませんように。」とあります。支配されてしまうと逃れられないからです。一時傲慢な感情や態度になってしまうことはありうることですが、そのまま傲慢さがずっと心を支配し続けないようにということです。なぜなら、天使ルシファーが堕落してサタンになってしまった一番の原因は、傲慢の罪だからです。私たちも、傲慢から神様に対する愛の姿勢が堕落してしまうということが起こりうるので、この傲慢の罪から守り、それに支配されないようにといつも謙虚に祈ることが必要です。それが、全き信仰を持つ姿勢です。

B)真心から神に近づく
(ヤコブ4:8)
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。 」
 神様は私たちに近づこうという気持ちと、その近づくための全ての手はずを整えてくださっています。ただ、私たちが神様に近づくという意志決定と、それに伴う行動がなされない限り、神様の方は近づくことができないのです。なぜなら私たちが逃げて行くからです。
 神様は、二千年も前から私たちに近づきたいと、イエス・キリストとしてこの地上に来られて罪の贖いをなされたのです。もう近づいてくださっているのです。あとは私たちが近づくかどうかです。私たちがそれに気付かずに好き勝手にしていますが、神様は色々と工夫し、イエス様の元に私たちが行くように導いてくださっているのです。人生の悩みを通して、イエス様の元に引き寄せられ、今私たちはここにいるのです。神様はいつも私たちに近づこうとしてくださっています。あとは、私たちが、神様に近づきたいと決意し、神様に近づくという行動をとることが大切です。 
 イエス・キリストの再臨は、神様の方から近づいてくださることです。イエス様にお出会いするために、全き信仰を持って、真心からイエス様を待ち望んでまいりましょう。

【デボーション参考ポイント】
 みことばを行ってみましょう。
 
【俳句】
雪女でも  イエスの血で  きよくなる
 
 季語は雪女です。雪女とは、ひねくれ者なので、邪悪な良心を象徴してみました。ひねくれた邪悪な心の人でも、イエス様の血できよくなることができるのです。