■2021年10月10日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)


過去を見て今日を知る

 

主題聖句(ガラテヤ6:7)
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

 

 今日のテーマは「過去を見て今日を知る」ですが、再来週の「今日を見て明日を知る」というテーマと合わせて一つのメッセージとなっております。今日はその前半部分を(ガラテヤ6:7)から見ていきたいと思います。
 
 秋は収穫の季節、実を結ぶ季節です。聖書には植物を通して多くの教えが語られています。
 
 今日の主題聖句(ガラテヤ6:7)の中では、蒔いた種の刈り取りという例をとって、パウロはガラテヤの教会に「思い違いをしてはいけません」と注意しています。私たちは何を思い違いしているのでしょうか。
 「神様は私たちに良いことをしてくださる」とよく言いますが、そこに「私の思い通りにしてくださる」という自分中心の隠れた意味が潜んでいることがよくあります。自分の思い通りになることが良いことだと勘違いするわけです。

 私たちは罪人で間違いがある者ですから、自分の願いが本当に良いことかどうかはわかりません。この世界は神様中心の世界ですから、良し悪しの基準は神様にあります。それなのに、自分の思い通りにならなかったら、「どうして神様は私の言うことを聞いてくれないの?」となるわけです。
 
 私たちは今日何かの言動や行動で種を蒔き、良いことであれ、悪いことであれ、それは明日か、もっと先のいつか将来にその結果があらわれて、その実を刈り取ることになります。
 
 過去に蒔いた自己中心の悪い種が今日の煩いや試練につながっていると理解するなら、今日新たに別の良い種を蒔けば明日は違う結果が出ると思えるわけです。自分のことは棚に上げて、すべて神様のせいにするのは思い違いであることをパウロは忠告しているわけです。
 
 パウロは続いて8節で、私たちが蒔く種には2種類あることを紹介しています。

二種類の種(ガラテヤ6:8)
「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

(1)肉のために蒔く種(ガラテヤ5:19-21)
「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」
 肉のため(肉の欲望を満たすため)に蒔く種のリストが挙げられています。肉の欲は健全さを超えると貪欲となり罪に至ります。 この(ガラテヤ5:19-21)のリストの中にあるような肉が喜ぶ種を、あなたが今も蒔いていて止められないとしたら、その原因は、肉の欲を満たしたいという動機が内にはっきりと潜んでいるからです。

  最初イエス様を信じた時は新しく造りかえられたのに、この世で生きている内にいつのまにか、昔と変わらない肉の欲を満たすための人生に戻ってしまっているのではありませんか。 
 肉のための種を蒔かないようにするためには、御霊のために蒔くという決心が必要です。

(2)御霊のために蒔く種(ガラテヤ5:22~23)
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」
 私たちの内側の深い本心の所には、このような霊の欲求を満たしたいという思いがあるのですが、肉がそれを覆ってしまい、肉の欲求を先に満たそうとしてしまいます。
 
 霊の欲求を満たしたいという思いが強くされるためには、肉のために蒔く種によってどんなマイナスがあるかを知る必要があります。すぐ悟れればベストですが、結果によってそれを悟ることも出来ます。私たちの問題や不幸、災いの原因は、神様のせいではなく、自分自身が蒔いた種だと気がついて、神様を畏れる心をもって悔い改めるのです。そうすれば肉の欲求を満たす心を改めて、霊の欲求を満たしたいという思いが強くされていきます。

肉のために蒔かれた種
(1)創世記3:6
「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするとというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」

欲望の種を受け入れてしまったアダムとエバ
 アダムとエバは「食べても死なない、食べたら賢くなる」というサタンの魅力的な情報に誘われて、「食べてはいけない、死ぬから」と言われた神様の戒めを退けて、食べることを実行しました。欲望を満たしたいという種を受け入れて、そして種を蒔いたのです。結果、欲望を満たしたいという種は現代に至るまで人類に引き継がれています。これが今の罪の世界の理由です。

(2)ローマ5:12
「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」
 その結果、罪と死の連鎖が始まった
 種が育って実がなって、実の中に種が含まれていて最後は種が残って次の実をむすんでいく。こうしてアダムから始まった罪と死の連鎖が今にいたるまで続いています。
 始まりは、自分の欲望のためになる情報を意識的に選び取ったことです。私たちもアダムとエバのように、肉の欲を満たしたいという自己中心の都合で、神様のおことばを選んでいる可能性がありますから気を付けましょう。

 神様は、この延々と続く罪と死の連鎖を断ち切るために、罪の赦しの御業、十字架の御業を成し遂げてくださいました。それを信じて悔い改めた者、神の愛に立ち返った者は、肉体は死んでも、霊、魂は永遠の神の御国で生きることができるという福音を、神様はイエス・キリストを通して現わしてくださいました。そして今私たちは、それを受け止めてその生活の中に歩んでいるわけです。
 私たちが連鎖を断ち切るためには、神様がそのために成し遂げてくださった御業を、ただへりくだって、ただそれを信じて、ただ従えば、その通りになるのです。
死の連鎖を断ち切るために
(1)ローマ6:3-11
「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし、私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることになる、と信じます。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」

欲望の種が死の実をむすばない処置を受ける
 欲望の種があっても、それが成長して死の実をむすぶに至らないように、種の成長を抑制する処置、コツ、それが、(ローマ6:3-11)の水のバプテスマの真理の中にあります。
 私たちの救いのために神様がなしてくださった最も大事な基本的な教えと業ですから、このみことばをよく黙想し御霊様にさとらせていただきましょう。

(2)ガラテヤ2:20
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちにいきておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自分をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
キリストの愛に生きる人生を決心する
 「私はキリストとともに十字架につけられました」というのは(ローマ6:3-11)の水のバプテスマを言っています。
 
 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちにいきておられるのです。」と、神様の憐れみに生きる心が表現されています。
 
 「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自分をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」これは、キリストの愛に生きる人生を決心するということです。
 
 この決心をしないと、いくら欲望の種の成長を抑制しても、肉の欲を満たしたいという動機がある限り、種は後から後から芽を出してきます。
 
 しかし、肉の種が育たない心を造る。御霊のためにという心を造る。それがキリストの愛に生きる人生を決心するということです。
 
 これは皆さんが自主的に決断することです。アダムとエバは、自らの判断決断で神様のおことばに背き、サタンの情報を選びました。
 
 同じように私たちも、キリストから正しい情報を得て、これこそ真理だと自分で選んで、神の愛の中に生きる者として、神の子としてのいのちを与えられた人生に対する決心をしなくてはなりません。

  その決心をする時、四つの種まきの話にある良い土壌、御霊のために種を蒔き、豊かに実をむすぶその土壌が内にできるのです。

【自問自答】
(1)欲望の種に気付いているか?
 欲望の種があることに気付かないと、それを制御するために信仰を働かせることができません。

(2)バプテスマの真理に生きているか?
 洗礼を受けた後も、今も、バプテスマの真理に生きていないと、すぐに心の土壌の質がかわってしまいます。(ガラテヤ2:20)の決心がずっと続くように信仰をもって受け止めて頂きたいと思います。

(3)御霊との交わりを具体的にどのようにしているか? 
 正しい良心を働かせるという意味です。神を畏れ敬う心をもって聖書を読み、みことばに耳を傾け、忠告をうけとめていく、この姿勢があると、私たちの内におられる聖霊様との交わりを進めて行くことが出来ます。
 
 過去を見て今を知り、そして明日に向かっていただきたいと思います。

【俳句】
 刈り取った  今日の出来事  いつ蒔いた

 過去を見つめて今を、そして明日に向かって処置をしていくという方向に進んでいって頂きたいと思います。