■2020年11月15日 日曜礼拝メッセージより(辻和希伝道師、横路伝道師)
 
主は生きておられる
つぶやかない聖さを求めて

 

主題聖句
(第1列王記18:15)
するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう。」

(第1テサロニケ5:16~18)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

【辻和希伝道師メッセージ】
1.『主は生きておられる』
(第1列王記18:15)
するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう。」

 私は来月の12月で洗礼を受けてから丸20年になります。20年を振り返ると、今年の教会のテーマである「聖め」の期間であったと思わされています。
 今も聖められることを追い求めている途中ですが、ますます成熟目指してまいりたいです。
 私の人生に神様は大きく介入してくださり、数々の不思議と奇跡を行ってくださいました。その時は実感が薄いのですが、
 今は“その時確かに神様が働いてくださった!”と確信できます。

 主は生きておられます。そして今も私たちには働きかけています。

 主は生きておられるという知識は全てのクリスチャンが持っていることでしょう。
 しかし、主が私たちの人生にどれだけ良いことをしてくださったかを知れば知るほど、主は生きておられるという知識は、実感へと変わっていくでしょう。
 この実感が、クリスチャンにとってとても大切なことのように思います。

 旧約聖書の登場人物は、度々「主は生きておられる」と告白しています。その中の一人、エリヤを見てみると、
 第1列王記18章で450人のバアルの預言者と対決する場面が描かれており、いのちの無い偶像の神バアルに対して、450人の預言者が
どんなに呼びかけても何の反応もありませんでした。

 一方エリヤが主に呼びかけると、主が応えてくださいました。
 私たちが信じる主は、その時エリヤが呼びかけた主と同一の神です。

 主が生きているということがどれほどすごいことであり、そのことを告白できることがどれだけ信仰に影響しているかを教えられます。

 私たちは、心から“主は生きておられる”と告白できるでしょうか。実感が強ければ強いほど、大胆に告白することができるはずです。
 まずは、私たちに主がどれほど良いことをしてくださったかを振り返ってみましょう。必ず主は私たちにコンタクトを取ってくださっています。

【横路伝道師メッセージ】
2.『つぶやかない聖さを求めて』
(第1テサロニケ5:16~18)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
 いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝することが、つぶやかない秘訣です。これを律法的にとったら、そんなことはできないと否定的に捉えてしまいますが、これはゴールとしての勧めです。これができるようになったら素晴らしいと思います。 

A)常時喜悦 いつも喜んでいなさい。(第1テサロニケ5:16)

(第1ペテロ1:8~9)
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」

(第2コリント6:10)
「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」

 私たちはこの目で実際イエス様を見ていませんが、まるでイエス様にお会いしたかのようにを愛し、信じて喜んでいるのがクリスチャンの姿だと書いてあります。
 また、見た目には様々な問題があり、祝福されていないのではないかと思えるときでも、クリスチャンはそのような状況の中でも喜ぶことができ、多くの人を富ませ、すべてのものを持っているとあります。
 いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝することは、私たちの願いではなく、神様がそのようにして欲しいと願っておられることなのです。
 私たちクリスチャンは、どんな状況であっても喜べるという根拠が聖書の中にたくさん書いてあります。例えば「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)というみことばがあります。私たちは、愛されているということがわかれば、前向きになり喜びが湧いてくるのではないでしょうか。
 また、先取りの信仰があります。今目に見えるところは苦しい状況でも、必ず良くなると信じて、喜ぶことができます。

B)不断祈祷 絶えず祈りなさい。(第1テサロニケ5:17)
(ローマ12:12)
「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず」祈りに励みなさい。」

 
 私たちは、主の前に静まって祈る祈りと、それ以外の祈りもできます。それは、いつも主と共に歩む祈りの生活です。生活の中で、心を主に向けて祈りながら様々なことをしていくのです。聖霊様を無視しないでください。聖霊様との対話をすることが大切です。
 また、祈りの中で、あれしてください、これしてくださいという祈りばかりでなく、感謝と賛美を入れて祈ることが大切です。
 主の祈りの前半は、主の御心を祈る祈りです。神様の御心は私たちの思いよりも大きく、良いものを用意しておられます。神様の御心を祈ることが大切です。

C)万事感謝 すべての事について、感謝しなさい。(第1テサロニケ5:18)
(ローマ8:28)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

(エペソ5:20a)
「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」

*感謝できることを探すこと。
 もし一日三個の感謝を発見してノートに書くならば、一年間で千個以上の感謝がたまります。感謝できることはたくさんあります。例えば、私たちが何者なので神様に祈れるのでしょうか。神様の一方的な恵と憐みです。私たちに命を与え、生かしてくださっているなど、たくさんあります。もしノートに書いて毎日繰り返して読むならば、喜びと感謝にあふれると思います。
 何よりも、十字架で私たちの罪を贖ってくださり、神の子としてくださったこの恵みは素晴らしいことです。この地上で苦労して100年生きたとしても、私たちは永遠に素晴らしい時を過ごすことができるのです。だからもうしばらくの間忍耐をして、将来の素晴らしい祝福を仰ぎ見つつ感謝して生きるなら、素晴らしい人生を送ることができると思います。
◎喜び、祈り、感謝が習慣となり、「礼拝と生活」でなく、「礼拝の生活」となるように。
 日曜日は礼拝に出て賛美と感謝で満たされるが、月曜日から土曜日までは世の中で苦しんでぶつぶつと言っているのならば、礼拝と生活が離れているのです。しかし、毎日喜び、祈り、感謝するなら、毎日が礼拝の生活となるのです。

【参考聖句】(ゼパニヤ3:17)
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」
 この天地を創造され、支配しておられ、新しい天と地をもたらす神様が、私たちのただ中にいらっしゃるのです。救いの勇士が私たちの内におられるのです。
 そして、主が高らかに歌って、あなたのことを喜んでおられるというのです。私たちが主を喜ぶ以上に、神様が私たちを喜んでおられるのです。神様は私たち一人ひとりを丁寧に愛して創造され、私たちを喜んでおられるのです。
 私たちが神様を愛し、賛美し感謝するなら、神様はものすごく喜んでくださいます。今は不十分であっても、今からもっと素晴らしいクリスチャンになることを期待して、喜んで待っておられるのです。