■2018年7月8日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

 ことばなる神のかたち  up 2018.7.8


主題聖句(創世記1:27)
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

(ヨハネ1:1)
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 

 

 

 前回、(創世記1:27)「創造の真理」ということで、私たちが神のかたちに造られ、その「かたち」とは「入れもの」という解釈をしてお話いたしました。神様は御自分を見えるかたちで現わし、また神様の働きをするために、器(からだ)を持たれた、それが私たちである、ということでした。そして、神様がどんなお方か、4つの本質について紹介いたしました。

 今日はその中の一つ、「ことばなる神」について、主題聖句(ヨハネ1:1)を見てみましょう。
 神はことばなるお方、全世界万物をことばによって創造され、ことばによって保っておられます。この「ことばなる神様」を入れる器として私たちは創造されました。
 神のことばを内側に満たすとは、神様が内側に満ちるということです。この神様のことばを入れるにふさわしい生き物として人は存在しているということを、今日は皆さんと一緒に見ていきたいと思います。

1.みことばを住まわせるためのかたち(コロサイ3:16)
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と、霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」
 ことばなる神様のみことばを私たちが豊かに内側に住まわせることによって、互いに良いコミュニケーションを図り、良い社会生活を送るようにしなさいと、語られています。
 みことばを内側に住まわせる――「住まいとなる」とは、どういうことでしょうか。

A)神の住まいとなる(エペソ2:22)
「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
 「住まい」というものは、造り上げ、建て上げ、完成させるものです。今、神様はご自分の住まいとして、私たちを完成に向けて建て上げておられます。私たちがみことばを聞いて行なう、学んで悟るというのは、神の住まいとして私たちが建て上げられて行くためのプロセスです。
 私たちがみことばを悟れなかったら、神様の住まいが未完成ということになります。神様が私たちに聖書のお言葉を与えておられるのは、ご自分が住む場所として私たちを建て上げて下さっておられる、という意味になります。

B)神の神殿(第1コリント3:16)
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」

 神殿というのは建物の価値を表しています。旧約聖書ではソロモンが、金銀、一流の木材、拠り糸、最高の素材で、神殿を造りました。そこに御臨在される神様の存在価値を仮に表現するために、最高級の神殿を建てたのですが、それでもソロモンは、天地を造られた創造主なる神様をお迎えするには何とみすぼらしいものでしょうか、と言っております。
 私たちは金銀ではなく土くれのものですが、しかし私たちは神様が住まわれ、おことばを注がれるにふさわしい高価で尊い神殿として造られた一人一人なのです。

C)教会が神の家(第1テモテ3:15) 
「それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は真理の柱また土台です。」
 
 このみことばでは、神の住まいが「神殿」から「神の家」となっています。どう違うのでしょうか。「神殿」は神様の執務室のようなものです。「家」とは、そこに家族がいる、皆が集まる安心の場所です。 神は私たちを高価な神殿のように見てくださっているとともに、ご自分の家族とともに安らぐプライベートな場所として、私たちを創造してくださったのです。

2.内住するみことばの働き(第1テサロニケ2:13)
「こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間の言葉としてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」
 
 「住まい」というところから、三つの神のかたちを見てみましたが、そのようにして神様の言葉が私たちの内に住んでくださる時、どのような働きが私たちの内でなされるのでしょうか。

A)使徒20:32    
「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」
 
 「育成する」という働きが神のことばにはあります。私たちは成長しようと思うものですが、みことばがあなたを成長させてくださるのです。みことばの言われるとおりにしてたら、いつのまにか成長しているというのです。それなのに、自分が頑張ってしまうと、自分の努力や人間的考えで先走ってしまい、神様の育成のお働きを横に置くようになります。

B)へブル4:12  
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」  
 
 2番目は「判別する」というお働きです。私たちは時々、自分が今何を考えているのかわからない時があります。わからないまま、何かに動かされているような感じがするという時、それは、自分が意識できないところに何らかの「言葉」があるのです。その言葉によって突き動かされているのです。それは欲求・感情から来る言葉であることが多いのですが、そのような見えない動機を、神のことばは判別します。

 私たちは本心に気付きたくないので、聖書を読まない、メッセージを聞かないというようなことがあります。みことばが私たちの心を見分ける力があるので、咎められたり責められたり、心が痛い思いをします。本心をあらわにされます。悪い動機が見えてきます。間違いが示されます。だから、いろいろと言い訳して聖書を読もうとせず、みことばを受け入れようとしません。その心は暗闇です。

 みことばは光です。光が暗い部分に当たれば様子がわかります。神のみことばにそった思いや考えがあるかどうかを私たちは見分けることができるのです。みことば(光)に心を向けたくないのは罪の力です。

 だから、聖書を読むことは大事ですね。神のおことばを入れる器として、神のことばを入れていなかったら、私たちの主観や価値観、考え方、そういうものが歪んできます。みことばから主観が生まれて来なければいけないのが私たち人間です。そのように造られているのです。

C)第1ペテロ1:23    
「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」
 
 「新しく生まれさせる」という力が神のことばにはあります。一回新しく生まれても古びて行きますから、みことばによっていつも新しく生まれ変わっていくことが必要です。人は現状を維持したい、辛いし疲れるから変化したくないと無意識に思っています。しかし、人は変化を通して成長します。変化させ新しくする力が、みことばにはあるのです。

D)第1テモテ4:5    
「神のことばと祈りとによって、聖められるからです。」
 
 4つ目は「聖め」です。私たちが聖くなりたいと思うのなら、みことばを聞き、祈ることです。罪をやめて外側だけきよい形をつくろうとするのではなく、みことばが私たちの祈りと共に働いて、さとしや気付きや知恵を与えて、さらに神様のものへと近づけて、神様に所属するものへと造り変えてくださるのです。聖くならないのは、みことばと祈りが足りないからです。

E)ヤコブ1:21  
「ですから、すべての汚れやあふれる悪をすてさり、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」

 「魂を救う」これは最初の救いのことだけではありません。私たちは救いから外れることがあるからです。誘惑されて神様から遠ざかることもあるのです。そのとき立ち返ることもできるように、神様のみことばは、もう一度私たちを救いの中に導き、私たちの魂を救うことのできる力をもっているのです。

 イエス様を信じて救われたからもういい、なんてことは決してありません。救われ続けることが必要です。私たちの環境は誘惑に満ち、つまずきにあふれ、「どうして?」と思うようなことが世の中にたくさん起こります。回答は神のみことば、聖書の中に必ずあります。

 このように、みことばが私たちの内に住んで下さることによって、私たちはことばなる神のかたちに整えられ完成されていきます。

 一つのみことばが心に宿ると、みことばの内容が、あなた自身のかたちとして人々にも感じられるようになります。みことばのかたちが現れるのです。「神はあわれみ深い方です。」というみことばを心に宿すと、自分もあわれみ深くなり、人々があなたを見て、あわれみ深い神のかたちを見ることができるのです。みことばがかたちとなって現れるのです。

 器は中身を表します。神様の言葉ではないねたみや怒りなど、他の言葉を宿していると、外側の器にもそれが表れてきますから、気をつけましょう。良いことば、神のことばを宿しましょう。神のことばが入れば神の器となり、罪の言葉が入れば罪の器になるのです。

【デボーションポイント】   
「嘉言善行」(かげんぜんこう)は、うちに住まわれる神のことばによって実現できる。
「嘉言善行」→良いことばと良い行いのこと。

       
【俳句】            

みことばに  動かされしや  夏燕

 巣作りに産卵に子育てに、親ツバメは一日中出たり入ったり、疲れも知らず、生き生きと飛び回っています。神様がツバメにそのような「ことば」を与えられたからです。「生めよ、増えよ、地に満ちよ。」すべての生き物の本能に、神はこの言葉を与えておられます。
 与えられた神のことばに反抗するのは人間だけです。人間が本当に幸せで生きがいがあるのは、神のお言葉を受け入れて動かされていく時ですね。