■2022年8月7日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

平和を創る行動

主題聖句(第1ペテロ3:11)
悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。


 

○平和を追い求めるとは平和を創る行動をすること
 今回のテーマは昨日の平和式典を見て、神様から導かれたものです。
口先だけの平和でなく、本当の平和を創ることは、世界情勢を見るまでもなく、身近な近所や家庭の中でさえ難しいことです。

 平和式典で小学6年生の子が発表した内容から色々考えてみます。

〈平和記念式典こども代表より〉
「本当の強さとは、違いを認め相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすることです。そして、自分も周りの人も大切にし、助け合うこと。平和な景色が映し出される未来を創るため、私たちは行動していくことを誓います。」

 子どもが語ったことばだからこそ納得しますが、大人が言うと、そんなことを言っていては世の中では生きていけないと思ってしまいそうなことばです。
 
 確かに誰が考えても、本当の平和とは、敵も味方も互いに大切にし敵をつくらないことが平和だと分かります。

 しかし、経済社会ではそんなことは難しいと大人は考えてしまいます。むしろお金や権力のためには利用し合う世界です。

 子どもが言うからこの誓いは本物に聞こえます。特に「平和な未来を創るために行動していくこと」は子どもの純粋な誓いであり、原爆を経験した広島の大人たちは、本当にこのことばのように行動してきたのか反省せざるをえません。

 私たちは実際の生活で、隣人とどう平和な生活に取り組んでいるでしょうか。

◎平和への行動(ルカ12:51)
「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」
 神を敬う敬虔な者は平和への行動をどのように行うのかを聖書から見ていきます。
 
 ルカのこの箇所では、私たちが平和の行動をするに当たり、覚悟すべきことが書かれています。

 イエス様は罪人を救うため、平和のために来られました。しかし、イエス様が来られてから、実は混乱、分裂が生じたのです。

 イエス様はユダヤ社会に、モーセの律法の正しい解釈、心を教えましたが、指導者達は自分達に都合の良い上辺だけの形だけの律法解釈をして、イエス様の教えを異端視しました。

 本当の平和のための真実をイエス様が語られたために分裂が起こったのです。
 
 平和を求めるための行動をすると反対者が出たり、無視する人も出てきます。

 一人の人が平和のための行動をはっきりさせると、周りから反対や何らかの主義主張が表れてきて、争いを仕掛けられたりすることも起きるでしょう。それは、自分たちの主張を曲げたくないからです。

 神を敬うのではなく、自分の存在を主張して自分を曲げようとしないのです。
 
 イエス様の教えは貧しい人々や弱い立場の人々には喜ばれ受け入れられましたが、権力者や富んだ人々からは迫害されました。彼らには都合が悪い教えだったからです。

 自分たちの今が豊かで権力がある立場を守りたいがために、彼らは争うのです。

 皆さんも、家庭や職場などで神様の愛を語り始めると、周りの人々は批判したり争いを仕掛けてきたりするでしょう。
 
○互いの主義主張によって、まず分裂が起きることをわきまえる。
 そういう人々を理解させよう、同じ考え方に引き込もうとしていたらつぶれてしまいます。

(ローマ14:19)
「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」

 平和に役立つこととは争いを回避することです。更に、損得ではなく相互の建徳(道徳心を高める)を、お互いに求めていくことを目標にしたら、争いはなくなってきます。なぜなら、徳の高い人は争わないからです。

 平和に役立つこと→争わない、争い回避
 霊的成長→相互の建徳を求める

 「争わない」、「お互いの徳を高め合う」という二つが大切です。

〈デボーションポイント〉
◎敬虔な者の平和への行動
(第1ペテロ3:9)
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」

 これは競争社会では不可能なことです。負けたら終わりだと教わるからです。
 
 しかし、クリスチャンは神を畏れ敬っているゆえに、この真理が分かります。自分の信仰は世の中の教えとは違うという自覚を持たなければ、永遠の命を捨ててしまうことになります。
 
 争うと必ず呪いが出てきます。敵のみならず、自分をも滅ぼしてしまうのです。

 クリスチャンは決して争わないようにしましょう。互いに呪い合うことになるからです。むしろ、祝福することで、互いに高め合い、相手の人が祝福されて心を入れ替えるチャンスも与えられます。

 争いは互いを呪う→滅ぼし合う
 祝福は互いの徳を高め合う
 祝福→徳を高める→「隣人愛」

 互いに愛し合うとは祝福しあうことであり、徳が高められるよう相手に心を使うことです。私たちは祝福を受け継ぐために召されたのです。呪いは捨て去りましょう。

○祝福継承者とするキリストの救い

 祝福することを自分のモットーとしましょう。その訓練のために人生があります。

 ぜひ子どもの時から、この正しい価値観を身に着けさせましょう。そして、大人の私たちも、今日から新しくやり直すことができるのです。
【短歌】
祝福は 互いの徳を 高め合う
平和を創る 愛の行動