■2026年5月17日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

正しい良心の重要性

主題聖句(第1ペテロ3:21)
そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。

 前回、「解放と自由」を意味する≪ヨベルとペンテコステ≫についてのお話を致しました。
 
 また、(ローマ8:2)から、御霊による働きによって私たちは罪と死の原理から解放され自由にされる、ということについてもお話し致しました。  
 
 私たちはイエス・キリストを信じる迄は欲望の奴隷でありましたが、キリストを信じてからは、聖霊様によって聖いいのちが与えられたので、肉の行い・自己中心・不敬虔などの罪から自由になることが出来ます。 

 今日は(Ⅰペテロ3:21)から≪正しい良心の重要性≫についてのお話をしたいと思います。

(Ⅰペテロ3:21)
「そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」

*「そのこと」
 旧約聖書にある「ノアの箱舟」の出来事のことです。
 地上に悪が満ちたために神様は大洪水によって世界を裁こうと思われました。
 
 その時、ノアだけが神の前に敬虔な心をもっていたので、神様はノアに語りかけて舟を造らせ、ノアとその家族は神様のおことばに従って箱舟に入り、大洪水から救われたという出来事です。

*「バプテスマ」
 水の中に浸され、水から上がるバプテスマ(洗礼)によって、私たちはイエス・キリストの死と葬りと復活に合わせられます。私たちの罪を負って死んで、よみがえられたイエス様に、私たちは合わせられて一つとされて、私たちも死んで新しく神の子としてのいのちを受けて新しい人生を再出発するというのが、バプテスマの意味するところです。

*「肉体の汚れ」
 私たちの中に宿っている罪のことです。
 アダムとエバが罪を犯してから、人類には罪が宿るようになりました。本来は健全な筈の欲求が、罪の働きによって、自制できない「貪欲」となり、私たちはその奴隷となって罪を犯してしまうのです。

*「正しい良心の神への誓い」  
 バプテスマは、「肉体の汚れ(→罪)」を取り除くものではありません。バプテスマは、正しい良心の神への誓い、すなわち神を愛し敬う敬虔な神の子としての人生を望み願う決心・決意を表明するものです。

*「イエス・キリストの復活による」
 実際に、その願いを実現してくださるのは聖霊様です。その聖霊様が私たちの内に送られるためには、私たちの罪が処分されることが必要です。

 そのためにイエス様は十字架で、私たちの受けるべき罪の裁きを身代わりに受けて死んでくださいました。

 イエス様ご自身は罪のない正しいお方でしたので、父なる神様はイエス様を死んだままにはされないで、死からよみがえらされました。

 イエス様の死と復活は、イエス様には罪がなかったという証明であり、それは信じる者たちの罪の赦しのために有効で、正しい良心の神への誓いを全うすることが出来るということを示しています。

 更に、イエス様を信じる者たちの内に聖霊様が来られたということは、神様が私たちの罪を赦してくださったという、私たちにも実感できる明らかな証しです。聖霊様を受けるということは、罪が赦されているという神さまからの応答なのです。  

 私たちの意思表示は水のバプテスマです。正しい良心による信仰の告白、キリストを畏れ敬う敬虔な心、その心を持ち続ける決心の表明として、私たちは水のバプテスマを受けます。

 そして神様はイエス様の十字架を通して私たちに罪は無いと認めてくださり、そのしるしとして、聖霊様を私たちに送ってくださいます。聖霊様はこの肉体に宿り、罪の力を制する働きを与えてくださるのです。

◉正しい良心の重要性 

(Ⅰテモテ1:19)
「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。」

 ノアの箱舟は神のさばきからの救いの象徴です。箱舟は神への正しい良心を示しています。箱舟が壊れると大洪水の中で舟は沈没してしまうように、正しい良心を捨てると、神のさばきを受けて滅んでしまいます。
 だから、正しい良心を捨ててはいけないと、パウロ先生は弟子たちに教えているのです。

◉良心をきよめるのは、神の愛による
(へブル9:14)
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」

 創造主なる神を敬わない人の良心を、汚れた良心と言います。汚れた良心は、神の愛を知ることによってきよめられます。

 「イエス様のお捧げになったその血」とは、わたしたちを罪による滅びから救い出したい、という神さまの愛のお心です。神様の愛に触れなければ人の心は変わりません。 
 神様がどれほど私たちを愛してくださっているかを知れば知るほど、私たちの良心はきよくなっていきます。神を敬う心が生じます。そして神様に愛されている者として、神様の愛に正しく応答したいという気持ちが生まれてきます。

◉正しい良心に留まるために、毎日心がけて頂きたいこと

(Ⅰテサロニケ5:16∼18)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」

①神の愛の箱舟の中で守られているから、いつも喜ぶ。
 
 神様の愛とあわれみによって箱舟に入り救われたノアたちのように、今は、わたし達もイエス・キリストという神の愛の箱舟の中に留まっています。神のさばきの日がいつ来ようとも、箱舟の中に居さえすれば安心です。

 しかし私たちは、箱舟に留まり続けることを喜びと出来るでしょうか。箱舟の外で自由に振舞いたいという誘惑に勝てるでしょうか。
 必ずやってくる神様の裁きから、私たちは救われているのです。神様から約束を頂いているのです。その確信を持って、いつも喜べるようでありましょう。  

②キリストへの敬虔な心を意識するための祈り
 
 世に神々はいっぱいあふれています。しかし、私たちは救い主イエス・キリストの名によって、天地を造られた創造主なる神様に祈ります。場所や状況は関係ありません。 
 いつ、どこであっても、祈り心をもって神様を意識できるようでありましょう。

③すべてのことは、永遠の救いに至るためであることを感謝する。

 地上での違反による罰も裁きも、隠したり逃げたりせずに、受けるべきは受け、償うべきは償うべきです。

 困難、災難、苦しみ、試練、すべては天にある永遠の救いに至るためであることを感謝して、試され、磨かれて参りましょう。