■2022年9月18日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希伝道師)

主を恐れ、主に仕える

 

主題聖句(サムエル記 第一 12章12~25節)
あなたがたは、アモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めなければならない』と私に言った。
今、見なさい。あなたがたが選び、あなたがたが求めた王を。見なさい。主はあなたがたの上に王を置かれた。
もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。
もし、あなたがたが主の御声に聞き従わず、主の命令に逆らうなら、主の手があなたがたの先祖たちに下ったように、あなたがたの上にも下る。
今一度立って、主があなたがたの目の前で行われるこの大きなみわざを見なさい。
今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたがたは王を求めて、主のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」
それからサムエルは主に呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨とを下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。
民はみな、サムエルに言った。「あなたのしもべどものために、あなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてください。私たちのあらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えたからです。」
サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。
役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ。
まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。
私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。
ただ、主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。
あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」


 

 

 

 先日、関西万博のキャラクターが正式に決定したニュースを見て、これは大阪府民の総意なのか?と疑問を持ちました。
 また、大阪はIR誘致もするということで、経済発展には良いのかもしれませんが、反対の声も多く、個人的にもカジノのイメージが強く、人間の欲望の塊のような事業だなと思っています。

 このように、一部の権力者の意見が、大勢の住民の声に勝る構造が、人間の歴史を見てもどの時代にもありますが、大勢の意見を一つにまとめるなど到底できないというのが現実です。

 そして、人間は完璧ではないので、完全な存在を人間の中から立てるのは不可能なのです。だから、神の存在が必要不可欠であり、私たち人が正しく歩むことができる唯一の方法が、全能者である主の導きによる他ないのです。

 旧約聖書からイスラエルの歴史を見るときに、主が進むべき道を示し、ともに歩んでいる様子が描かれていますが、ある時から、一人の王を立てるようになりました。1サムエル12:12-25から見ていきましょう。

(12-14)
あなたがたは、アモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めなければならない』と私に言った。

今、見なさい。あなたがたが選び、あなたがたが求めた王を。見なさい。主はあなたがたの上に王を置かれた。

もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。
 イスラエルは常に周りの国から狙われていました。その状況に耐えかねた民は、周りの国と同じように王を求めました。士師であり預言者であるサムエルは不本意でしたが、主は願いを聞いてくださったので、サウルをイスラエルの初代の王としました。

(15-19)
もし、あなたがたが主の御声に聞き従わず、主の命令に逆らうなら、主の手があなたがたの先祖たちに下ったように、あなたがたの上にも下る。

今一度立って、主があなたがたの目の前で行なわれるこの大きなみわざを見なさい。

今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたがたは王を求めて、主のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」

それからサムエルは主に呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨とを下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。

民はみな、サムエルに言った。「あなたのしもべどものために、あなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてください。私たちのあらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えたからです。」

 念願の王が誕生したことで意気揚々としていた民に、サムエルは勧告しています。そして、王を立てた主こそ主権者であり、主に力があることを民の前に示しました。

 それを見た民は改めて主を恐れ、王を求めるというのが悪であることを悟り悔い改めました。

(20-25)
サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行なった。しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。

それはむなしいものだ。まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。

私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。

ただ、主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。

あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」

 サムエルは、改めて“主に仕えよ”と勧めます。周りの国の慣習に誘惑されずに偶像を避けるように勧めます。それは自国の王も例外ではありません。

 人は見えるものに影響を受けるので、見えるものにではなく、見えない主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって仕えるように強く語っています。

 少し間違っても、主の選びは変わることはありません。それは私たちにも当てはまります。福音によって救われた事実は、罪を犯すことで消えるものではありません。

 しかし、悪を重ねるなら、主は懲らしめとして、民も王も滅ぼすという忠告も忘れてはいけません。

 私たちが道を逸れてしまうのは、主がどれほど偉大なことをしてくださったかを忘れてしまうからです。イスラエルの民は、エジプトからの脱出による多くの奇跡を目の当たりにしているのに、主に頼ることよりも、見える王を求めるという悪を行ってしまいました。
 
 実際に立てられたサウル王は悲惨な末路を辿り、それ以降の王も、後継者争い、偶像礼拝など、道を逸れてしまう王がたくさん出てしまったのは、主の偉大さよりも、人間的な力を頼りにしたからです。

 冒頭申した、大きな物事が決定する過程を見てもわかるように、人の欲望で動く神のいない世界は滅びに向かいます。

 私たちはそのような社会の中で、同じような波にのまれることなく、全能者である主に目を向け、主に頼る人生を歩みましょう。

 主への信仰は、宗教というかたちではなく、自然な生き方で表現しましょう。それが“キリストの香りを放つ”ということなのですから。