■2021年9月5日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

『暗闇から光へ 失望から希望へ』

主題聖句(マタイ4:15~16)
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」


○キリストへの期待こそ人間の望み
 「希望」というテーマをもとに、今回が三回目になりますが、今日は、「暗闇から光へ 失望から希望へ」と題して、福音の基本的なことをお話したいと思います。
 福音が「良い知らせ」である理由は、福音が希望と喜びを伴っているからです。福音は、人々を暗闇から光へ、失望から希望へと変えてくださる神様からの「良き知らせ」なのです。
 
 今週の主題聖句(マタイ4:15-16)は、旧約聖書のイザヤ書9章から引用されたものです。
 ゼブルンの地とナフタリの地は、もともとはエジプトから出てきたイスラエル12部族の内の2部族に与えられた地でしたが、その後アッシリア帝国によって占領されて、そこは異邦人の土地となってしまいました。そこで失望の中にあったイスラエルの民への希望のメッセージ(福音)として、民はそこで「偉大な光」を見ると、イザヤは、救い主キリストの出現を、そのことが起きる700年も前に預言していたのです。
 
 これは私たちにとっても素晴らしい神様の約束のおことばです。「暗やみの中にすわっていた民」は「異邦人」とも訳される言葉です。イスラエル以外の異邦人の上にも偉大な光が上るという、救い主の登場を預言する言葉でもあるのです。
 マタイは、イザヤの預言を引用して、私たち人間の永遠に対する望みを、神が救い主イエス・キリストを通して成就されたと、聖霊によって記しているのです。
 
 今日は、この希望の福音がどのような流れで私たちの内に受け止められていくのかを見ていきましょう。

(1)失望で終わらない希望(ローマ5:5)
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

○愛されている事実を知ること
 この世の希望には終わりがあります。この世において夢が叶うと、実現したということで、その希望はなくなります。夢が叶わなければ失望して終わります。神の福音が示す希望は、この世で夢が叶うか叶わないかというような希望ではありません。
 
 私(辻牧師)は小学生高学年の頃から、生きることへの空しさを感じていました。世の中に対しても自分の未来に対しても、希望が持てないし気力もわかないという状態のままで就職する年齢となりました。そして居ても立っても居られない切羽詰まった心境の時、不思議なことに、その答えを求めて神に祈りました。そんな時に訪問に来られたクリスチャンの方から、「答えはこれです。」と、聖書の神、天地創造の神、唯一の神、救い主を遣わされた神についての話を聞きました。一週間後に教会に行き、そこで、その神様が本当におられるのなら、この人生に答えてほしいという気持ちから、イエス・キリストを信じてみようと思ったわけです。
 
 やがて、聖書を通して、神様が私たちを愛しておられるということを知りました。神様は、結婚式の指輪のように確かな愛の証拠として、歴史の中にキリストの十字架という愛のしるしを人類に与えてくださったのです。そして私は神様が愛してくださっているということを事実として受け入れました。
 
 献身に至ったのは、聖霊に満たされて、その愛が確実なものであることを悟らされたからです。これが神様の愛そのものかと思うような聖霊体験をしてからは、自分の考え方を神様に合わせていこうという献身の決意をして、神に仕えて行く人生を今も歩んでいるわけです。
 
 失望で終わらない希望というのは、私たちの内側に愛されているという愛がある時、その愛がもたらしてくれるものなのです。
 
 存在そのものに希望を感じる、生きていることに希望を感じる、一緒にそこにいるということだけで未来に希望を持てる、良い未来があると感じさせてくれる、それは愛されているという愛に触れて心がそのように動いて行くからです。
 
 神の愛は絶対に失望で終わることがありません。神様が共にいてくださっていることがわかるから、必ず希望で終わるのです。時には神を見出すことが出来ないようなことがあっても、それでも神様はいつも共にいてくださったと後で感じさせてくださるような聖霊様の取り扱いを通して、神の子として成長させてくださいます。そのように失望で終わらない希望が福音なのです。
 では、なぜこの世に暗闇と失望があるのかを次に見てみましょう。

(2)暗闇、失望の原因(創世記3:23-24) 
「そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。」

○人間は罪人であり、神のさばきを受けた状況にある
 アダムとエバは罪を犯し、エデンの園から追放され、そこに戻ることができないようにされました。そしてそのエデンの外側で子孫を産み増やしていきました。人間はエデンの外に追放された罪人であり、神のさばきを受けた状況にある、というのが今の私たちの状況です。これが失望の原因、罪の原因です。良いことをしたか悪いことをしたかではなく、エデンの外で産まれ育った人類はみな罪人だということです。

(3)神は愛と義のお方(出エジプト34:6-7) 
「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべきものは必ず罰して報いる者、父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」

○旧約聖書がそのことを証している 
 神ご自身がご自分のことを愛と義の神であると宣言されています。主は何よりあわれみ深く情け深い愛のお方です。その愛は無秩序な愛ではなく、公正な正義の愛で、「罰すべきものは必ず罰する」と言われています。
 神様は私たちにエデンの園に戻るという道を閉ざされました。しかし、もう一度その道に帰ることが出来るイエス・キリストという救い主をお立てになる計画を実行されました。そのことを証ししているのが旧約聖書です。イスラエルと神様との関係です。
 旧約聖書を通し、イスラエルに対し、さばきと憐み、神の愛と神の義が両立されている姿を、私たちは読み取る必要があります。
 そして全人類に対して神様の愛と義を示されたのが、イエス・キリストの十字架です。

(4)罪人に示された愛と義(第1ペテロ2:24)
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

○イエス・キリストは、私に代わって私のさばきを受けてくださる
 この世の人々は罪が癒されないままで生きています。ですから、義の道を選ぼうと思っても選べないのです。罪の癒しを受けていないので、どんなに正しいことをしようとしても途中で挫折してしまうわけです。そして失敗を繰り返し失望しあきらめていきます。
 
 クリスチャンは違います。癒されています。神様から罪が無い者と見なされています。ですから、たとえ失敗をしても希望を持ち続けます。なぜなら、イエス・キリストが私たちの代わりにさばきを受けてくださったから、そして神が私を造り変えてくださるから、私たちは赦されて、何度でもやり直しが出来るのです。福音の中でも最高に良き知らせであります。
 
 赦されるとは、やり直しのチャンスを与えられることです。だから希望が持てます。未来があります。失敗してもあきらめさえしなければ、何度でもやり直すことが出来ます。これがイエス・キリストによって与えられた癒しであり、罪からの解放であり、永遠の希望なのです。 
 最初に神様はアダムとエバを裁かれました。エデンの外に追放された人類は、そこで死刑の執行を待っている死刑囚のようなものです。
 
 しかし、イエス・キリストが私たちに代わって死刑執行を受けてくださいました。イエス・キリストを信じる者は死刑の執行を受けなくてよいという恵みの救いを、神様が与えてくださいました。
 キリストが再臨されるまでの間に、心入れ替え悔い改めて立ち返れば、永遠のいのちを得ることが出来るのです。今は恵みの時、今は救いの日です。

(5)永遠の希望へ(ヨハネ3:16)
「神は、実に、そのひとり子をおあたえになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

○この約束は今も有効である
 このみことばには、永遠の希望への約束が書かれています。この約束は今も有効です。その有効期限はキリストの再臨の時です。
 
 罪人である私たちの身代わりとして、最も大切なたった一人の子を犠牲にされた、そこまでして私たちを愛された神様のおこころがお分かりでしょうか。
 
 この神様の良き知らせに対して、私たちはそれを無視するのか、信じて受け入れて神のもとに立ち返るのか、神様はこの世に対してその決断を迫っておられます。

(6)愛と義の神への応答(ガラテヤ2:20)
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

○愛してくださっている方を信じて神の愛に生きる人生を選ぶ
 この(ガラテヤ2:20)のみことばは、私たちクリスチャンが神様の福音に対して応答する姿です。
 
 神様の愛に触れられて、神様がどれほど大きな愛で私たちを愛してくださったかを知る者は、神の愛に生きる人生を選んでいきます。 すでに人類は裁かれて死刑判決を受けています。執行の日が来るまでに、ひとりでも滅びることがないように、神は救いの時をお与えくださっています。 
 
 クリスチャンたちの生活を通して、世の人々のふさがれた目が開かれていくように、キリストを信じる私たちがこの世で光を示していくこと、希望の生き方を証していくことが、使命として与えられていると思います。

【自問自答】
(1)暗闇の中にいるのか、光の中にいるのか?
 あなたは希望のあるクリスチャン生活をしていますか、希望のないクリスチャン生活をしていますか。

(2)どうしてそのように思うのか?
 どういう希望を持っているから、そのように思うのでしょうか。

(3)永遠のいのちという希望について考察してみましょう
 永遠のいのちとはどういうことでしょう。

【短歌】
世の終わり  不安な世界  生きるには
唯一の希み  神のあわれみ 

 二つの世界大戦を通り、今も不安な世界の中にいます。
 何か正しいことをしたかではなく、神の憐れみに信頼する生き方、それが、世の終わりの不安な世界で生きる唯一の生き方ではないでしょうか。