■2021年2月14日 日曜礼拝メッセージより(横路伝道師、辻和希伝道師)


万事は神の御計画
異邦人社会におけるキリスト者(1)

 

主題聖句
(第2コリント4:15)
すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。

(第1ペテロ2:13~17)
人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。
というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。
すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。


 

【第一礼拝:横路伝道師メッセージ】
『万事は神の御計画』

(第2コリント4:15)
「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。」

A)ヨセフの生涯から学ぶ (創世記37章~50章)
1.高慢なヨセフ
 ヨセフはヤコブが年寄になってから生まれた11番目の息子で、愛するラケルに生まれたことによって、父ヤコブから非常に愛されました。ただ、あまり愛され過ぎて高慢になっていた所があったようです。しかし、ヤコブの信仰はしっかりと受け継いでいました。
 ヨセフは二つの夢を見ます。自分に向かって10個の束がおじぎし、もう一つは太陽と月、10個の星が自分におじぎをするという夢でした。その夢の意味を知った兄弟はヨセフに対して腹を立てます。兄たちは穏やかにヨセフと話しができないくらいねたんでいました。そして、兄たちはヨセフを奴隷商人に銀20枚で売ってしまいました。
 ヨセフは王様の侍従長のポティファルに、おそらく銀30枚で売られたものと思われます。イエス様もユダに銀30枚で売られました。ヨセフはイエス・キリストの型であると言われています。

2.砕かれた高慢
 ヨセフはそれまでの高慢を砕かれました。愛されている最高の立場から、奴隷という最低の立場に追いやられました。
 主人のポティファルは、ヨセフの状況をずっと見ていました。体格もよく美男子で、神様から与えられた知恵がありました。色々なことを任せて試したと思いますが、ついには家の管理を全部任せたとあります。

3.「主がともにおられたので幸運な人となった(創世記39:2)
「彼の主人は主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させて下さるのを見た。」(創世記39:3)
「主人は彼を側近の者とし、家のすべての管理をヨセフにゆだねた」

4.投獄されたヨセフ
 しかし、この後ポティファルの妻がヨセフを誘惑します。それをきっぱりと断ると、ポティファルの妻はヨセフが自分を誘惑したと言って陥れ、ヨセフは囚人となり、監獄に入れられてしまいました。ここで再度ヨセフの高慢な心は完全に砕かれました。
 へりくだって、この場所に神様が置かれたのはなぜだろうと祈ったと思いますが、ここでも監獄の長が、ヨセフのことをなすこと語ることを見て、監獄の管理を全部ヨセフに任せました。 

5.主の時を待ったヨセフ
 ある時、王の献酌官長と料理官長が監獄に入れられ、その監獄の中で夢を見ました。ヨセフが夢の解き明かしをし、ここから出たら私を思い出して、ここから出られるようにしてくださいと言いました。しかしその後、献酌官長はヨセフのことを忘れてしまい、2年間がたちました。
6.主の時が到来する
 その頃、エジプトのパロ王が不思議な夢を見ます。そこで王様はあらゆる知恵のある者たちに夢の解き明かしを求めましたが、解き明かせる者がいませんでした。そのとき、献酌官長がヨセフのことを思い出して王様に伝えます。ヨセフは王の夢を見事に解き明かし、その解決策も伝えます。王様はその神からの知恵に感嘆し、ヨセフはエジプトの第2の位、総理大臣になりました。

7.兄たちを試みたヨセフ
 ききんになり、ヨセフの兄弟たちがエジプトに食料を買いにやってきました。ヨセフは一目で兄たちが来たのがわかりますが、兄たちはエジプトの総理大臣になっているヨセフに全く気付きませんでした。ヨセフは兄たちの心が今どうなのか、試みていきます。

8.兄たちを赦し、和解する
 兄たちの心がすっかり変わっていることがわかったヨセフは、兄に自分を明かして兄たちを赦し、和解をしました。

9.イスラエルの救いと祝福
 そしてヨセフは一族全部をエジプトに呼び寄せ、ききんから救い出すことができました。

B)試練と苦しみは神の祝福の御計画
1)神のみ前に砕かれ、ヘりくだることの素晴らしさ
 ヨセフは、試練によって高慢さが砕かれました。私たちも、色々なことで問題が起き、自分の失敗で心砕かれることがあります。しかしそれは幸いにしてくださるためのものなのです。砕かれてへりくだることは、心を聖くされることです。

2)主と共に、与えられている場所で忠実に生きる
 ヨセフのように、主と共に生き、どんな場所であってもつぶやかないで生きることが大切です。

3)忍耐して主の時を待つ
 ヨセフのように、忍耐して主の定められた時まで待ち続けることが大切です。ヨセフは忘れられましたが、絶妙なタイミングで思い出されました。
 ヨセフは17歳で奴隷となり、30歳でエジプトの総理大臣になりました。その間待ち続けました。アブラハムも25年間待って子どもが与えられました。神様が定められた時があるので、忍耐してその時を待つことは良いことです。
(創世記45:5)
「ヨセフは、『・・今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、わたしを遣わしてくださったのです。』と言った。 」
 私たちは今、色々な問題、試練の中にあるかもしれません。しかしその中で、忍耐してヨセフのように待ち望みたいと思います。ヨセフは神に特別に選ばれた人でしたが、新約の今、私たちには聖霊様が与えられているので、ヨセフのように神と共に歩むことができるのです。

 鴨川の祈りというお話をしたいと思います。I君という医学生が寮生活をしていました。彼はクリスチャンだったので、同僚のK君にからかわれ、いじわるをされました。彼は鴨川のほとりに行って一人で祈りました。「神様、あのK君は私の敵です。私の前から退けてください。」すると不思議なことに彼は神様の声を聞きました。「あのな、Kを置いてるのはわてやで」と関西弁で語られたそうです。驚いたI君は、これは私の試練なのだ、敵を愛し、敵のために祈るように神様がK君を置かれたのだと理解し、どんなにいじめられても彼を恨まずに対応しました。
 
 ある雪の夜、忘年会の帰りに雪の中で酔っ払ってK君が倒れていました。他の人は「あのいじわるなKなんか放っておけ」と無視しましたが、I君は彼を抱きかかえて連れて帰り、朝まで介抱してあげました。次の日に起きたK君は、他の人からI君に助けられたことを聞き、心から感謝して悔い改め、大親友となったということです。
 苦しい環境にある時、それは神様が用意された環境であることを知り、神様の御心に従うときに、素晴らしいことが起こってくるのです。

【参考聖句】
(ローマ8:28)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
 今見える困難、苦しみを含めて、すべてのことが益と変えられるのです。

【第二礼拝:辻和希伝道師メッセージ】  

『異邦人社会におけるキリスト者(1)』
~主権者との関係~

 今年の教会の目標は第1ペテロ2:12より、異邦人の中にあって、りっぱにふるまうことを目指していきます。具体的にはどのような行動が“りっぱ”なふるまいになるのかを、以降の節よりシリーズで見ていきたいと思います。

(第1ペテロ2:13~17)
「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。
というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。
すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」

◆人の立てた制度に主のゆえに従う
 当たり前のことを言うのですが、国民として国の制度に従うことが立派なふるまいになります。ローマ13章1~2でもパウロは、すべての権威は主からによると語っています。例え国の王や監督者が神を信仰していなくても、その王に権威を与えているのは神ですから、私たちは神を信頼して制度に従うことが正しいふるまいとなります。
 
 では、国が神のみこころに反した制度を定めたときはどうでしょうか?みこころに反してでも、国の制度に従うべきでしょうか? それは違いますよね。なぜなら、“主のゆえに”と言っていることに反するからです。主のゆえに神に反抗することなどありえないことですから、もし、そのような迫害の時代が到来したら、私たちは試練を通ることになるでしょう。
 とにかく、今は恵みのとき、救いのときであり、特に日本では信仰の自由も保障され、教会の存在も認められ、さらには宗教法人法によっても税制面で優遇されているのですから、本当に感謝なことです。

◆自由人として行動する
 国の制度に従うことを強制されるように感じるかもしれませんが、私たちは神によって自由とされているので、自発的に主のゆえに制度に従うという姿勢が望ましいです。
 自発の精神は、教会内でも特に必要なことです。教会は自発の奉仕によって成り立っているからです。
 
 しかし自由については一つ気を付けなければなりません。それは、自由であることを、悪の口実に用いないようにすることです。自由を放縦と間違えないようにしましょう。

◆すべての人を敬い神を恐れる
 どのような国の制度であっても、クリスチャンにとって大切なことは、神こそ唯一畏れられるべき方であるということです。神を畏れる敬虔な姿勢が、すべての人を敬うことにつながり、この地上の王を尊ぶことにつながるのです。

 私たちはこの世では旅人であり寄留者ですが、その生活は、この世の権威という秩序の中で支えられています。その権威にイエス様も従われた模範に倣い「主のゆえに」従うことが、異邦人社会における私たちの正しいあり方なのです。

 日本は、まだまだクリスチャンの少ない国です。異邦人社会です。日本にも国家としての制度があり、国民はその制度の上で生活しており、そのほとんどの人がまだ神を知らないのです。

 キリストの福音を伝える者として、国の制度を守ることは、当たり前のことですし、この地上の制度に従うことができないものが、聖書の教えを宣べ伝えても、人々は耳を貸してくれるはずがありません。
 
 周りから尊敬されることに近道はありませんから、日本国民としてきちんと生活する、ということが、福音宣教の入り口になるのだと思います。