■2024年9月22日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希伝道師)
主につく者は来なさい②
前回、出エジプト32章より、モーセがシナイ山に登って神様からのことばをいただいている最中、ふもとに残ったイスラエルの民が、アロンに迫って金の子牛の像を作り、神として崇めてしまい、モーセが山から下り堕落している民を見て「だれでも主につく者は私のところに来なさい」と言う箇所から、主につく者についてお話しさせていただきました。
主につく行動をしたのはレビ族でした。偶像礼拝をする3000人以上の中で、モーセの呼びかけに応じたレビ族の神様への信仰は、妥協が多いこの世に生きている私たちにとっては、見習うべき神への誠実な姿勢だと思わされます。
この出来事の後、主はもう一度イスラエルの民と契約を結んでくださいました。その内容は、よりこれからイスラエルが歩んでいく環境に適した具体的な内容に更新されているものでした。
特に、十戒の一つ目の戒めである、「わたし以外に、ほかの神があってはならない。」という内容に、”入っていくその地の住民と契約を結ばないように”と表現が加わっています。
入っていく地とは、約束の地カナンを指します。そこには、偶像の神で溢れている土地でした。
目にみえる身近に思える偶像の神に心が奪われないようにと、主はイスラエルの民に釘を刺したのです。
多様性をうたう現代社会において、この内容は受け入れられないかもしれません。私たちの信仰も、ときには一つに偏っていると非難されるかもしれません。
それでも、私たちは、主以外に神はあってはならない信仰を貫かなければなりません。それが主につくものの姿勢なのです。
イスラエルの罪を寛大なあわれみでお赦しになり、契約を更新してくださった方は、今日の私たちにとっても変わらない存在であり、人生をささげてついて行くべきお方です。
十字架の赦しという最大最高の福音を今日も語っていきましょう。