■2019年3月10日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

恐悦至極(きょうえつしごく)

主題聖句(エペソ5:20)
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

『恐悦至極』(きょうえつしごく)

相手の厚意に大変喜び感謝すること。
喜びや感謝の気持ちを伝えたり、身が縮み上がるほど恐れ多い気持ちを表したい際に用いる謙譲語。

 先週に続いて(エペソ5:20)から、感謝について見ていきたいと思います。神様は罪人の私たちのために、赦しを与え、永遠のいのちをくださり、ご自分の子とするために、御子イエス・キリストを遣わして、贖いの代価として差し出してくださいました。私たちは「恐悦至極」と言うほか無いような、神様からのご厚意をいただいております。この「恐悦至極」の感謝を、今日は、二つのみことばから見ていきたいと思います。
1.信仰を堅くして感謝する(コロサイ2:7)    
「キリストの中に根差し、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」
A)内容観察
救い主の愛をしっかりつかんで離さず、また注がれている神の愛を吸収して成長し、そして、キリストの福音への知識を増し加えることによって神への信仰を揺るぎないものとしなさい。私たち罪人へのはかり知れないご厚意に、恐縮するとともに、この上もない感謝をささげなさい。
 信仰が堅く揺るがないものになっていく中で、強められることに比例して、自然と感謝も大きくなっていくものです。
 感謝ができない時というのは、神様への信仰、信頼が不十分で、見えるものにいつも左右されている、すなわち信仰が堅くされていないという問題点があるかもしれません。どうすれば信仰を堅く出来るのか、見ていきましょう。
B)「教えられたとおり」とは?
(エペソ4:22-24)
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」
 「古い人」を脱ぎ捨てて、「新しい人」を着なさいと言われています。私たちはこの意味がなかなか実感できなくて、実生活に適用しにくい悩ましいクリスチャン生活を送っていると言えるかもしれません。
 「教えられる」とは、今出来ていないことが出来るようになるために、また、今悟っていないことを悟れるようになるために、教えを受けることです。望んでいることが実現すると信じて進んでいくことが「信仰」ですから、私たちは教えを受ける時、無意識に信仰を働かせていると言えます。
 問題は望んでいるかどうかです。新しい人生をやり直したい、今の自分であり続けるのはいやだ、もっと変わりたい、という望みを持っているでしょうか。自己否定感の強い人は、努力しても自分は望むようにはなれない、良くなれないという思いをもって悩みます。しかし本音は、肯定的な自分になりたいという願いを強くもっているからこそ、そうなれないことを悩むのです。否定的な人ほど無意識に肯定的になりたいと願っているのです。
 イエス・キリストはそういう自己否定のところから私たちを救い出して「あなたも出来る」と励ましてくださいます。過去が、今が、どうであれ、造り変えてくださるのは神様です。自分を変えようと自分で努力する人は難しいのですが、「自分にはできません。しかし神様、あなたにはできますから、私はあなたについて行きます」という心が神への信仰、信頼です。
 私たちがあふれる感謝が湧いてこないのは、神への信仰が弱っていて、神様に期待が持てなくなっているのかもしれません。
 (エペソ4:22-24)の「その教え」とは、「古い人」すなわち、神を認めない不敬虔な自己中心な、自分の思いや感覚で生きていこうとする生き方を脱ぎ捨てて、神に似せて造られた神の子としての「新しい人」を着ることです。どうして、そんなことができるのでしょうか。人間にはできませんが、神にはできるのです。罪に縛られていた私たちは、キリストの十字架の御業によって、罪から解放されて、神様と共に歩む新しい人生を、神様はすでに与えてくださっておられます。ですから、私たちは「新しい自分」に生きていこうと出発することが大事なのです。
 信じて新しく生まれ変わっても、すぐにパッと成熟したクリスチャン生活を送れるということはありません。成長するには時間がかかります。その中で信仰が試されることによって忍耐が生じます。忍耐を働かせることによって信仰がさらに成長、成熟していくのです。
 「古い人」を捨てて「新しい人」を着なさいと、神様が言われているのですから、そのようにしましょう。「古い自分」が出てきても、みことばを信じて、キリストとともに歩む「新しい人」を意識して歩むのです。その心の姿勢を保つには忍耐が必要です。なぜなら、古い人と新しい人が、私たちの心の中でせめぎあうからです。そこで信仰が試されます。そこで完全になっていない自分に落胆し失望してしまわないように忍耐を働かせる必要があるのです。「神様は今、新しい人を着ることを教えてくださっているのだ。」と忍耐を働かせて感謝しましょう。信仰は、現実を見ながら進むことではなく、未来を見ながら進むことです。
 皆さんはどんな未来を期待して、今日、イエス様と共に歩む人生を選んでいるでしょうか。そこがはっきりしてくると、信仰を堅くして、あふれる感謝が生れてくると思います。
   
2.あらゆる場合に感謝の祈りをささげる(ピリピ4:6) 
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
A)内容観察       
すべてのことを働かせて益と変えることのできる方を信じ、あらゆる思い煩いを感謝のいけにえとしてささげましょう。そうすることによって、あなたがたが、どれほど神を愛し、信頼して願い事をしているかを知っていただくことができるのです。
 神様は私たちがどれほど神を愛し信頼しているか、私たちの動機・本心を見られるお方です。
 何か事があると、私たちはあれこれ思い煩ったり心配したりするのですが、(ピリピ4:6)では、思い煩わないで、それを感謝のいけにえとしてささげなさい、思い煩いを感謝の言葉で表現しなさい、と言われます。
 「今、私はこのように思い煩ったり心配したりしています。しかし、この苦しいところを通った先には、必ずこの経験が将来の私の益となっているように神様は導いてくださるに違いありませんから、どのような結果も、今の状況も感謝して受け止めます。」このように、思い煩いを感謝に変えるのです。思い煩いを否定的に受け止めず、神を信頼して前向きに感謝して、時を待ちます。忍耐が必要です。
 どんな試練も感謝して忍耐を働かせると、私たちは霊的にも精神的にも練りきよめられ、強くなり、何一つ欠けた所のない完全なものになっていきます。神様はそういう良い目的をもって、私たちの人生に起こる苦難や困難、問題を見ておられます。
 ですから、私たちが感謝のいけにえをささげるとき、その忍耐は苦しい忍耐ではなく、喜びを伴う忍耐となるのです。
B)感謝をもってささげる祈り」とは?(へブル13:15)
「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」
 喜びがあり、感謝があふれてくると、それは神様をほめたたえる賛美となります。皆で共に賛美することによって、私たちの思い煩いや否定的な考えが、救われている喜びと愛されている感謝に変わっていき、神様をほめたたえる信頼の心へと強められていきます。
 最初から賛美できない人は、イエス様の十字架の御業による罪の赦しと神の愛を感謝する祈りをささげましょう。そして神様は良き神様であるということを心に信じて、一つ一つの出来事に対して、あれも神様の恵みだった、これも神様の導きだったと、神様の愛と恵みを思い起こしながら、否定的思い、古き人の思いを変えていくことを通して、賛美が心のうちに湧き上がってきます。そして、まだ現実に実現していないことでも、必ず良くしてくださるにちがいないという喜びと希望が湧いてきます。これが神様が願っておられる「すべてのことについて感謝しなさい」という励ましの言葉と言えると思います。感謝することは神様への信仰の表れです。
 神様にどういう信頼をもっているか、暗闇の中に光をもたらす神様であるという信頼をもっているかどうか、私たちは試されます。試されているそのときこそ、私たちは忍耐を働かせて、この試練と忍耐が私をどれほどキリストの姿に近づけてくれることかと、神様に期待して感謝しましょう。

【デボーションポイント】   
◎「恐悦至極」の心を込めた祈りをささげる。
【短歌】  
 紅梅を  床に飾りて  見つめれば
イエスの御名に  恐悦至極 
 
 床の間にいけてある紅梅を拝見するとき、イエス様の尊い血潮を拝するようでありがたく、かしこみ喜び、慎んで恐悦至極に存じますと、主の御名をたたえて感謝します。