■2018年11月4日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
草偃風従(そうえんふうじゅう)

主題聖句(第1ヨハネ2:6)
神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

 
 神の愛のうちに自分自身を保つということを、ここしばらく話してきています。
 今日の主題聖句には「歩まなければなりません。」という表現がされていますが、もちろん強制ではありません。人は強いられたように感じると、心が固くなってしまうものです。しかし、今日は「 草偃風従」から、この意味を正しく理解していただきたいと思います。

【草偃風従】(そうえんふうじゅう)
天子が有徳ならば、民は自然に教化を受けて、それに従うようになるということ。風が吹くと草がなびくように、君主が徳によって政治を行えば、民は自然とそちらのほうになびくという意味。
 
 イエス様はどのような高徳をもって治めてくださっているのでしょうか。それが分かると、自発的にイエス様に従いたい、喜んでいただきたいと願うようになるはずです。その気持は自分の本心から出るものであり、上からの押しつけでは決してないはずです。
 ヨハネは神の愛を知り、その愛に自ら応えたいと願い、その覚悟のほどを共感してもらえるはずとこの手紙に記しました。
 神を信じておりその愛を知っているなら、自分勝手な判断で歩むのではなく、キリストが歩まれたように歩むはずだとヨハネは言っています。その心構えで、今週歩んでいきましょう。

1.私たちは神の民(第1ペテロ2:10)
「あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」
 天地を造られた神は、統治し治められる方です。それゆえ全宇宙は調和があり、人には考えられないような不思議な自然現象が見られます。
 例えば円周率は決して割り切れません。人には無限に割り切れないような数でもって神は創造の不思議さを示しておられます。このような無限に割り切れない数字を、なぜ神は出しておられるのでしょう。
 例えば、コンピューターで小数点以下二億ほどの数字を出したとします。それは宇宙の動きを測るのにそれぐらいの細かい単位を出すことで、それぞれの星の動きや位置を確認できるということです。割り切れる数字であったら他の天体との関係が正確には測れず、割り切れない数字ゆえに他の天体との位置関係が測れるという不思議な法則があるようです。
 このような自然界に表わされた偉大な神の知恵、統治と権威を考えると心が踊るような興奮を感じます。
 創造主である偉大な神が君主として、私たちを治めてくださっています。しかも、天地の創造主なる神の方から、私たちを選んでくださいました。私たちを治めてくださっている方は主イエス・キリストです。この方はどのような徳をもっておられるのでしょうか。 

2.最高の高徳を(ヨハネ15:13)
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
 最高のお方である神が「愛」なのですから、最も偉大なのは、「愛」です。そして友のためにいのちを捨てる「愛」が最も大きな「愛」です。
 自分のいのちをもって友を生かす自己犠牲ですが、このいのちを捨てるということが逆にいのちを得ることであると聖書は言っています。自分のいのちを友のために犠牲にすることが、最も輝いたいのちの現れであるということです。
 私たちも少しでも愛の犠牲を隣人のためにすることで、本当のいのちの輝きを表すことができます。一般でも、ボランティア活動などがあります。(ただ、余りに災害が頻繁なので、最近はボランティアの方々も疲れてきているようです。)
 友のためにいのちを捨てるという最高の愛を目指して、今私たちは歩んでいる途上にあります。このような最高の愛をイエス様は十字架で表してくださいました。

3.最高の愛を表わされた君主キリスト
A)友と呼んでくださる君主(ヨハネ15:15)
「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」
 
 すべてのことを打ち明けるというのは本当に親しい人にしかしません。イエス様は父から聞いたことを、すべて語ってくださいました。 告白されるということは、働きの違いはあっても王は民を本当に信頼しており、友と呼ぶほどに親しい関係を心に描いておられるということです。
 今現在神は聖書を通し、父なる神の奥義というものを世界のすべての人々に啓示しておられます。この66巻の聖書の中に神の御心が示されているのです。
 あと、一割足らず翻訳されていない言語があるそうですが、ほとんどの国のことばで聖書は翻訳されています。
 そして数十年の間にすべての言語で聖書は翻訳される見通しです。
神はこのようにして、私たちをしもべとは呼ばず、友と呼ぶほどに親しい関係に見てくださっています。
 決して神は私たちを見下さず、平等に扱ってくださっているのです。目上のイエス様の方から親しく語りかけてくださいます。神は霊ですから、私たちも御霊によってイエス様のみことばを受け取ることができます。

B)君主が明らかにされた愛(ローマ5:8)
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」

 一番の大きな罪は神への背信であり、神に対して背を向けてしまうことです。神を認めずおろそかにすることです。
 しかし、神は罪人を友として、この神への背信の罪の贖いのために、イエス様は十字架にかかられ、ご自身のいのちの犠牲を通して私たちへの愛を表してくださいました。この十字架の死は歴史の上に表わされた史実であり、証明された事実です。
 友の罪を取り除くためにご自分のいのちを捨てられ、愛を明らかにしてくださいました。この大きな愛を私たちはどのように受け止めるのでしょうか。
 皆さんはこの愛を受け止めて、その愛に応えてここに集われています。まだ罪人であった時でさえ、このように愛を示してくださったのですから、信仰をもってからも何度もつまずいたり、不信仰に陥ってしまうことがあっても、どうして神の愛が私たちから離れ去ることがあるでしょうか。
 一時的な不信仰に陥ってしまう時でも、神はあなたを愛し続けてくださるのですから、しっかりと立ち返って、しもべとしてではなく友として、さらにイエス様を知ることができるように神に近づいて信頼していこうではありませんか。

【デボーションポイント】
 君主イエス様が、最も大切な戒めとされていることを守るようにつとめましょう。
 「わたしがあなた方を愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい」が最も大切な戒めです。これも「草偃風従」です。
 友だからいのちを捨ててくださったという愛がはっきりとわかってくるほどに、私たちも友のために自分のいのちを捨ててイエス様に従いたいという気持ちが湧いてくるようになります。
 無理やり愛することはできません。愛は自然に湧き上がってくる自発的なものです。
 ただ普段感情で感じる愛は自分の主観的な判断によって生まれていることが多いものです。相手の外見によって惹かれたり…イエス様はそのような愛を求めてはおられません。私のためにいのちを捨ててくださった、この方についていこうという意志的な決意のある愛を求めておられます。
 結婚式で誓う愛と似ています。伴侶を一生愛し続けていこうという意志的に強い決心をする愛です。
 この愛をもってイエス様に従い、兄弟姉妹を心から受け入れ愛していきましょう。イエス様の愛がわかってくるほど 草偃風従になっていきます。
【俳句】
紅葉が 山のふもとに 秋深し

 寒さは山の上から始まります。上の方から紅葉がふもとまで降りてきます。ふもとにきてやっと秋の深まりを感じます。
 私たちもイエス様が愛してくださったので、兄弟姉妹を愛するようになってきます。