■2024年3月17日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊の善意に導かれる

 

主題聖句(エペソ5:9)
光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。


 私たちは世の光であり、キリストを信じる者は光の子です。
光の結ぶ実はあらゆる善意、正義、真実です。
 
 光には三原色があり、それを混ぜ合わせる程白く明るくなる性質があります。

 霊的な実は善意、正義、真実という3つに分かれます。この3つを失わないよう、諦めないよう求め続けることが大切です。

 善意とは美徳、善意という心の持ち方であり、善良な心、自分以外の人々に向ける心の姿勢、心遣いのことです。

 「意」は心を示します。隣人への心遣いです。どんな状況が起こっても善意を持って受け止める姿勢です。

(第1ペテロ3:9)に「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」とあります。
 祝福を受け継ぐ者が呪うようであってはいけません。しかし、損得感情をもつとそれは不可能になります。

 イエス様は「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい。」と言われました。これは善意です。

 また、「あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。」とも言われました。それは、相手の心の底にある願い(最後まで一緒に行ってほしい)を受け止めて寄り添ってあげなさいということです。これも善意です。
 みたまは私たちの魂にいつも寄り添い善意を示してくださっています。
 
 不信仰になったり不満を覚えても、聖霊はあなたの内にあって善意を示してくださるのです。
 
 責め苛むのではなく、すべてを善意を持って受け止め励まし慰めてくださいます。

 みことばには厳しいものがあり、また天の父も訓練してくださる方なので厳しい面がありますが、私たちの内に住んでくださるみたまは天の父の愛の心そのものであり、やさしく付き合ってくださる友のような方です。ですから注意されても、決して傷つけられません。

A.ローマ8:38~39
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 異邦人の宣教師として選ばれたパウロがローマの教会に宛てた手紙です。パウロは異邦人である彼らも、イエス様の十字架のゆえに救われ、ユダヤ人と同じように神に愛されているという良き知らせである福音を語りました。
 
 どんな存在も、神の私たちへの愛から私たちを引き離すことはできないという素晴らしい福音です。
 
 これをパウロに語らせているのはみたまです。みたまの示される善意がパウロに神の愛の深さ、大きさを悟らせているのです。
 
 どのような力も神と私たちの関係を引き裂けるものはないということです。

 私たちはすぐに自分の罪に落ち込み、もう神様に愛されないのではないかと不安になり不信仰になってしまいます。

 しかし、みたまは決して私たちを見捨てず、前向きに未来にむけて常にいい方向に導いてくださいます。

 私たちはいくら罪から離れたいと思っても、その強い願いが心の底から湧き上がってこないと、なかなか罪から離れられない者です。

 その体験を通して、パウロはそのような自分でも神は決して見捨てられることはないと、語ることができたのです。
実感をもってパウロが語ったみたまの善意を、みなさんも受
けています。

 どのような罪の苦しさの中でも、みたまはいつも善意をもってあなたを理解し、正しい方向に常に導いてくださいます。

B.ローマ8:28
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
 パウロの手紙には「知っています」ということばがよく出てきます。これは読んでいる私たちも含まれています。この知っているは知識だけではなく、体験をして知っているということです。

 神の善意を受けていることを実感することが必要です。

 神が召された人々とはどのような人々でしょうか。神を愛する人々です。

 その人々のために神は何をしてくださいますか。すべてのことを働かせて益としてくださいます。

 神には悪意はありません。どんなに損失を受けても善意をもって受け止め前に進むように励ましてくださる方です。

 それをパウロは経験しました。宣教している中でどんなに大変な苦しい災難や災い、迫害を体験しても、彼はそれらが益と変えられたと告白しています。

 私たちの考える益と神が考えられる益は違うかもしれません。

 しかし、神は常に私たちに善意を示してくださることを知って体験しているので、どのような人間的には理解できないような状況が起きても、神はすべてのことを働かせて私たちのために益としてくださると、心から信じ、同意できます。それが知っているということばになるのです。

 神の善意は変わることはありません。ただ、神の善意を無視し続け、無駄にしていくならキリストの再臨のときには、その報いを受けることになります。

 私たちは祈りの度にみたまの善意を体験し心が前向きに変えられていきます。

〈デボーションポイント〉
 ローマ8:28は、神の善意による召しのご計画です。
パウロは、御霊の善意に触れたので《知っています》と言えたのです。

 罪人でも神を愛する心は持てます。洗礼を通して誓った誓いがあるからです。

 神を愛している自分を受け入れることで、やはり罪から離れようという心が湧いてきます。

 神を愛しているという強い決意をもつことで、誘惑に対して対抗することができます。

 正しい良心は敬虔さをもつことで強められてきます。

 しかし不敬虔なことを、罪と思わず鈍感に受け入れていくと、正しい良心が弱ってきます。

 私たちは神の善意によって集められた者達ですから、神の善意を信じ受け入れ、神の召しに応えていきましょう。

☆チャレンジ
 あなたは知っていますか? 

 知っていると言えるものを吟味してみましょう。

 善意を受けるということは恩を受けるということですから、その恩に報いたいと思うはずです。

 善意を実感するなら、私たちはその善意を隣人である兄弟姉妹に返していくことができます。

 神の善意を知れば知るほど、私たちはみたまの実を周りの人々に表していけるようになります。
【俳句】

神の召し  人を愛する  主の善意