■2019年7月14日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

あわれみ深くある

  主題聖句(ルカ6:36)
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
 
 神の国を目ざすために私たちに与えられた理念、私たちのクリスチャン像は「神の前における正しい良心を備えたあわれみ豊かな教会(私たち一人一人)」です。
 
 前回は「神の前における良心」についてお話させていただきました。
 良心が鈍ったりマヒしたりすると人生が狂ってしまうほどに、良心は大切なものであることをお気づきになられたと思います。 
 
 また、聖会セミナーにおいては、私たちのクリスチャン生活の具体的なさまざまな質問に対し、正しい良心の上に立ったものごとの考え方を回答の基本としてお話しさせていただきました。   
 今日は「あわれみ深くある」という、教会理念の二つ目のポイントについてお話をさせていただきます。
 
 主題聖句(ルカ6:36)を見ますと、天の神様が私たちの父親であり、私たちは父のものを継承する子ですから、私たちが父のようにあわれみ深くあるのは当然のことで、それは強制ではなく、父から受け継いだ本性として自然と湧き上がるものです。

   しかし、罪の力、欲望によってそれが歪んでしまう現状があるので、それを癒し取り除くために、イエス様の救いがもたらされて、実現しているのだということができます。

1.「人」は神のかたち(創世記1:26)
「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』」

●ヘブル語の「かたち」という言葉の意味  
 幻像、幻影、錯覚、外見上、外見だけで実体がないもの。

●「人」とは、神のかたち、すなわち、外見上のものであって、実体のないものであるが、神に似るようにしようと、神は人を創造された。
 
 外側は同じようでも中身は実体がない、本物と間違うような外見がある、という意味が含まれています。本物は神様で、人はその影のようなもの、外見を写していても中身の本質、本性についてはまだ空っぽである、そのようなものとして初めにアダムとエバは造られました。
「まず外側を造ろう、次に時間をかけて中身を入れていこう、われわれに似せて。」という意味が感じられます。
 
 中身は、外側を土のちりで造るように、そう簡単には造れません。なぜなら神様の本性は霊ですから、霊は造るものではなく、分け与えるものだからです。いのちの源は神様です。いのちは霊です。すべていのちあるものは、神様から分け与えられたものなのです。

2.神の本質
A)第1ヨハネ4:8    
「愛(あわれみ)のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛(あわれみ深い)だからです。」

★(内容観察)あわれみのない者に、唯一まことの神を見分けることができません。なぜなら神はあわれみ深い愛の方だからです。

 神々は世界中にありますが、本物の神様、聖書の神様を見分けるためには、「あわれみ深さ」が必要です。 
 
 キリストが十字架で、私たちをどのようにあわれんでくださったでしょうか。私たちの罪をご自身の身に受けて罰を受け、わたしたちが罪によって滅びることがないようにと、身代わりにご自分のいのちを差し出されるほどに、私たちを愛しあわれんでくださいました。この十字架のキリストに私たちは神のあわれみ深さを知るのです。

B)出エジプト34:6-7   
「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」

★(内容観察)
「天と地を創造された唯一の神、主は、あわれみ深く、情け深い神である。つまり、忍耐強く。いつくしみ深さと恵みとまことに富み、恵みを千代に及ぶほどに守り、咎とそむきの罪を赦す者である。罪を罰することにおいては、放置することなく、たとえ子孫が四代に至ったとしても必ず罰し、悪に報いる方である。」


 神様はどんな小さな罪も決して見過ごすことをされない厳格な正義のお方です。ですから私たちは、小さな罪も神様の前に認めて、神様のあわれみにすがります。しかし、神様は人情的に罪をうやむやにされるのではありません。悪は必ず処分されます。ですから私たちの代わりにイエス様が罰を受けてくださり、私たちは赦されたのです。

 裁き主なる神さまご自身が人となって、赦す者のために身代わりとなって、ご自分を罪とし、罪の苦しみを自分に受け止めて、そこまでして罪と咎の中にある人を救いたい、というほどのあわれみをもってくださっておられるのです。
 そういうところに目をとめて、神の本性「あわれみ深さ」を悟っていただきたいと思います。この本性が中身です。

 楽器には楽器の形をしたケース(入れもの)があるように、神様は、中味(神の本性あわれみ)を入れるにふさわしいケース(からだ)をまず造られました。そして「われわれに似るように」、即ち私たちの中身も神様と同じようなものになるように、人を創造されました。
 
 しかし、アダムから現代にいたるまで、かたちは神のかたちでも中身が違うという人が多くいます。利己的な欲望がぎっしり詰まっている、これが罪人の姿です。
 
 神様はケース(体)も中身も滅びることがないように、イエス・キリストを信じる者、愛する者、信頼するものは、欲望などの中身をごっそり取り出して、そこにあわれみ深さを与えて、入れ替えて、新しく造り変えてくださるという約束を与えられています。
 
 クリスチャンは、イエス・キリストを信じてから時間をかけて愛(あわれみ)が増し加わっていくのだと自覚されれば、中身が貪欲の代わりに神様のご性質であるあわれみ深さが増えて来ていると、自分の成長に気付くのではないでしょうか。

3.実体が備わった「神のかたち」(ヨハネ14:9-10)
イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。」

★イエス様は、神と共にすべてを共有する正しい良心を備えられた、あわれみ深い方(人)です。
 「父が私の内におられる」とあるように、イエス様はご自分の心の中の領域を父なる神様と共有し、神様の影響を受けて、考えや価値観までも神様と一つ同じものとなった良心を持っておられます。
 
 そして、神様のお考えどおりに、「あわれみ深い」という神のご性質をもって福音を語っておられますから、イエス様は神の前に正しい良心を備えた、神のようにあわれみ深いお方である、完成された人であると、受け止めることができます。
 
 私たちに目指すようにと与えられた教会の理念は、イエス・キリストご自身なのです。神様とすべてを共有する良心を備えた、神様の本性であるあわれみ深さを内側に満たしていく、そういう人になるように私たちは目指しているのです。

4.「人」の中身(実体)  
A)マタイ18:33
「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」

B)ルカ6:36    
「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。」
「私はお前をあわれんだ。おまえは私のあわれみを受け止めた。ならば、心の内に宿っているそのあわれみをもって、赦してやるべきではなかったのか。」

これが(マタイ18:33)の主人の真意です。
 
 あわれみは誰かから注がれてこそ、そのあわれみを誰かに施すことができます。しかし、それができなかったこのしもべは結果的に主人の心を憐みとしてでなく、得した、ラッキー、もうけもの、と受け止めたことになります。彼はあわれみを注がれたにもかかわらず、心を入れ替えることが出来ませんでした。

★神のあわれみ(愛)を受け止めるにふさわしい「かたち」である人に、十字架によって人類に注がれた神の愛。

 創造の初めから、「あわれみ深い」という実体を持つことは、神様の私たちへの目的です。
 
 私たちアダムの子孫は、イエス様の十字架によって罪の赦しを受けるための神様からのあわれみを注がれております。今も、救い主イエス・キリストを信じる者は罪が赦され、私たちの中身(実体)である「神様のあわれみ」を注がれて、私たちは寛容な者、赦すことのできる者にされていくのです。
 
 時には、裁きたい気持ちが出るでしょう。善悪を裁くこともあるでしょう。しかし、それが私たちの本分ではないのです。それは正しく裁かれる神様におまかせして、あなたがあなた本来の中身(実体)として、神に似るように一番最初に身につけるべきは、「あわれみ深く情け深い神」です。それが私たちの実体となるべきなのです。

●神の国を目指すために与えられた理念、クリスチャン像 「神の前における正しい良心を備えたあわれみ豊かな教会」

 そういうわけで、私たちのめざしているものは「神の前における正しい良心を備えたあわれみ豊かな教会(私たち一人一人)」です。

 「造った」ではなく「造ろう」、「完成まで造り続ける」と、神様はおっしゃってくださいます。
 
 今も、神様はあなたの人生の様々な出来事を通して、あなたがあわれみ豊かな者になれるように導いてくださっています。
 
 良い人間関係が築かれるまでは、あわれみが試されるような苦しい状況も起こります。お互いに罪の世界で学んできた主観と価値観がありますから、問題は色々出てくるでしょう。 
 
 まずは神様からのあわれみを知ることです。内側が聖霊に満たされることです。
 
 あなたが善をもって苦しむことにおいて、神は、正しい良心のゆえに苦しむあなたを価値ある者として喜ばれます。あなたが受けた苦しみは神が必ず報いてくださいます。
 
 喜んで迎えてくださる時を用意しておられますから、それまで忍耐強く信頼して、人を赦しあわれみ続けてください。

【俳句】
やさしさを  はこんでくれる  蛍かな  

蛍が光って飛んでいる様を見ると、誰でも優しい気持ちになりますね。聖霊様は私たちにあわれみ深さを内側に運んでくださるお方だというようにも考えていただいたらいかがでしょう。