■2024年10月20日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
終末には愛が冷える
主題聖句(マタイ24:12~14)
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
エルサレムの神殿が崩れ落ちる日が来る、と未来の出来事を預言されたイエス様は、「それはいつですか」と尋ねる弟子たちに、世の終りの日についてのお話しをされました。それがマタイの24章と25章です。
それから2000年あまりが過ぎました。あの日イエス様が語られたことは一つづつ成就してきています。そしてその「終わりの日」の状況は、今も現実に現れているということを、今日は(マタイ24:12-13)から、お話させて頂きます。
神様のカレンダーは、一週間単位で物事が新しく進められていく、という聖書の流れがあります。創造の業が7日間、アダムと、その子孫の時代が7日間、千年王国という安息日が最後に来て、それから「永遠」の世界が訪れます。
「終りの日(14節)」とは、創造の7日間とそれに続くアダムとエバについての7日間の歴史の最後、ということです。
今現在の私たちは、その7日間の内の最後に来る1000年王国を除いた6日目、という最後の日に来ています。
そこで、現在、日本を取り巻いている世界情勢がいかなるものかを簡単に分析してみましょう。
◉世界情勢
①ウクライナとロシアの戦争
②イスラエルとイラン、テロ組織の戦争
③台湾と中国との対立
④韓国と北朝鮮との対立
⑤アメリカ大統領選挙
①②ともに、民族紛争の長い歴史があります。島国で単一民族の日本では考えられない人種的問題や考えの違いがあり、そこに宗教的な価値観も加わり、誰がリーダーシップをとるかということで、常に争いが起きています。
特にイスラエルについて、少し詳しくお話いたします。
イスラエルには、世界を支配しようという考えは全くありません。神様がすべてを支配しておられて、その一部分を自分たちに委ねてくださっている、それが約束の地パレスチナ地方です。北はユーフラテスから南は地中海、エジプトのナイル川に至る範囲までを、アブラハムの子孫に与えると、4千年前に神様はアブラハムに約束されました。
私たち日本は終戦後、敗北という経験を通して、戦うことよりも和睦を求めることの方が未来に希望を持てて幸せであるということを、負けた国だからこそ感じ取ることが出来ました。
しかし他の大陸の国々にとって、敗北は民族の浄化(抹殺)を意味します。特にイランが支援するテロ組織(イスラム原理主義者)の使命は、イスラエルの抹殺です。絶対に和解はしません。イスラエルにとって、テロ組織を一人でも残すことは、イスラエル国民の滅亡の種を残すことになります。
1948年のイスラエル建国以来70年間、イスラエルがパレスチナの民族を迫害している、という嘘の情報が世界に拡散されてきました。
しかし、国連に残されている資料には、イスラエルがどれだけ和合するために国連の指導の下にパレスチナ人との共同の生活を受け入れて来たか、その記録が残されています。また、パレスチナ人と共同して生活できるように、パレスチナという国家を建てるという提案も、イスラエルは受け入れていました。
その提案を断ったのは、イスラム原理主義者の人たちでした。イスラエルを認めないというのが彼らの価値観であり思想であったのです。そして建国以来、イスラエルは常にテロ攻撃を受け続けてきました。そして、これ以上彼らと共に生きて行くことは無理だということで、今の状況に至っているわけです。
テロ活動をしている原理主義者たちは、本物のイスラム教徒です。アラーの神がマホメットに語って記されたというコーランには、イスラエルを抹殺することが神のご意思だということが、はっきり書かれてあります。そのことを全世界に広めて、イスラム、そしてアラーの神が全世界を支配する、それが原理主義者たちの考えです。
他のイスラムの人たちは、国際情勢を見ながら自分たちの国益を考えて、アラーの教えはあるけれど、国として自分の国民を守るためにも、そういう厳しい教えは控えようという穏健派です。
強硬派はイランです。コーランの原点に立って、誰であれアラーの教えに少しでも反する人たちを片っ端から抹殺していきます。彼等にとって民主主義は悪魔の巣です。言論の自由とか人権とか、自由で良いと私たちが思っていることも、アラーの神に従わないなら、存在する意味がないのです。彼等は絶対自分の考えを変えることはありません。降伏もしません。
今イスラエルの攻撃によって、ガザの人たち、特に女性や子どもたちが犠牲になっていると、メディアは伝えています。
テロ組織は地下20メートルの所に潜んでいます。一般市民を地上で人間の盾として利用し、イスラエルの攻撃にさらして、イスラエルを非難する材料にしています。一般市民は、アラーのご意思のために命を捨てることは天国に行けることだと教えられています
そういう現場の情報など、日本では一切報道されません。なぜなら、メディアのスポンサーは世界的に反ユダヤ主義的な影響を受けているからです。白人たちは、世界のトップに立つ人種は白人だと思っていますので、ユダヤ人が優れた能力や才能、知性や財産をもって世界に増え広がるのを恐れています。そういう世界的な反ユダヤ主義に、日本も影響されていると言えます。
③④の台湾と中国、韓国と北朝鮮、政治経済など社会の体制の違いから同民族が分かれて対立していますが、中国も北朝鮮も軍備を拡充し、いつでも戦争できる状態にあります。
現在、北朝鮮がロシアに協力して派兵しているという情報も出てきています。日本の回りで、そんな世界大戦につながるような話が進んでいるのです。
⑤日本と安保同盟を結んでいるアメリカで、11月2日には大統領選挙が行われます。誰が大統領になるかは日本の情勢に大きな変化をもたらします。注視する必要があります。
◉国内情勢
①2025年75歳高齢者問題
②少子化問題
戦後の第一次ベビーブームの赤ちゃんが、2025年には75歳を迎えます。5.5人に1人が75歳以上となり、医療費、年金など、国の財政が大きな負担を抱えるようになります。その財政を支える筈の若い世代の人口が、少子化の影響で極端に少なくなっており、益々国の財政は逼迫するとおもわれます。
③衆議院選挙
そんな問題に応えるためにも、どういう政策をもって国を良くしていくのか、今年の衆議院選挙は大事な選挙です。しかし、お金に縛られ、お金に狂わされている国会議員が大勢いるというのも現実です。
④労働者不足と移民問題
日本の若者は汚れ仕事よりデスクワークを好み、賃金にも格差があるため、肉体労働者が不足し、海外から安い賃金の労働者を雇って利益を上げようとしている、そんな団体が特定政党から優遇されているというようなことがありました。
また、埼玉県川口市では、クルド人が地域のルールや日本の常識、道徳を全く無視するという混乱状態が起きていて、川口市がクルド人に支配されるという恐れが広がっているようです。そのような移民の問題が日本各地で起こっています。
⑤食料自給問題
今回の新政権内閣により、食料自給のために農作物を生産していこうという方向に政策が向かい始めました。日本の食料自給率は30%程度です。もし、戦争などで食関係のものや、石油など燃料関係の輸入が妨げられたら、物は不足し物価は高くなり、生活状態は逼迫困窮してしまいます。
このように、日本を取り巻く内外の情勢を見ても、世界の終わりが近いことが予感させられます。今から正しい心構えを持っておくことが賢明です。
現代、まさに不法がはびこる状況が凶悪事件となって起きています。関東での連続強盗事件を見ても、そんなことまでしてお金が欲しいと思う人たちがいる。道徳観念の欠けた精神状態の若い人が増えている。お金に支配されているそういう人たちが、将来、日本をどのようにしていくのでしょうか。
罪が増え広がり、そういう所で愛なんて何の役にたつのかと思う人が増えていき、愛に希望が持てない世界になっていきます。「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われる」とイエス様は語られています。
①「不法がはびこる」
違法性、法律の違反または邪悪さ。表向きは正しくても、巧妙に違反して自分の利得を実現させて行くような邪悪な状況
②「愛が冷える」
愛が冷たいワックス(保護膜)でおおわれている状態→愛が通用しない。愛が機能しない。
③「最後まで耐え忍ぶ」
クリスチャンがイエス・キリストを信じて、最後まで耐え忍んで、悪を離れ善に親しむことが出来るのは、創造主の神が、正義と公平によってすべてを裁かれる、そういう時が必ず来ることを信じて待ち望んでいるからです。最後には「良かった、よくやった、いのちを正しく使ったね」と、神様が正しく評価してくださる時、私たちは誉れを得て、すべての労苦が報われるのです。
【デボーションポイント】
「不法がはびこる」ことを神はどうして止めないのか!
この疑問の返答を考えてみましょう。
※悪を離れ善を求める敬虔な人の救いのためにキリストの福音がある
戦争や争いなどは、私たち一人一人の人格者の責任・責務です。
そのために私たちには自由意志が与えられています。自由に考え、自由に行動する、その行動に対して神は裁き、評価し、報いを為されます。人格者は自己責任が多く求められるのです。
人は罪を犯すことがないように、自制心という徳を持っているはずです。それを働かせていないのは、欲望を選んで徳の高い品性を捨ててしまっているからです。
欲を捨てれば、人徳によって必ず、戦争も争いも無くなります。
【俳句】
冷える愛 失望せずに 救い待つ
この世の終わりには、クリスチャン同士でも愛が冷えるようなことが教会の中に見られるかもしれません。社会から影響を受けるクリスチャンも出てくるでしょう。
それでも失望せずに私たちは、イエス・キリストの再臨と救いの完成を待ち続けます。