■2020年5月17日主日礼拝 辻秀彦牧師メッセージより

今日の主題聖句

(エペソ4:30)
「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。』

 

ポイント
『聖霊証印の特典』

エクレシアバッジでもある聖霊証印には、身分証明だけでなく、さまざまな特典が付帯している。

 

 聖霊様が私たちに遣わされている一番の目的は「贖いの日のための証印」です。
 私たちの霊はもう贖われています。魂も今きよめられ続けています。罪が宿っているこの肉体が最終的に贖われるのが「贖いの日」です。それは御霊のからだをいただく時であり、一瞬の内に主と同じ姿に変えられる再臨の時であると聖書の中にパウロは記しています。

 先週は「エクレシアバッジ」ということで、自分が何者であるかという身分証明のしるしとして、聖霊が証印(バッジ)として私たちに与えられているというお話をいたしました。
 今日は、証印(バッジ)が与えられたならば、そこにはいろんな「特典」があるということを、6つのみことばを通して紹介いたします。
 私たちはこの「特典」を充分生かし切れていないかもしれません。また、身分証明である聖霊証印が与えられてこその特典ですから、特典だけに集中し過ぎたり、また軽んじたりすることがないように気を付けていきたいと思います。

 

1.専従の弁護士がつく(ヨハネ15:26)

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」

 「助け主」というギリシャ語の中には「弁護する者」という意味があります。弁護士は法的な面での弁護をする人です。専従の弁護士は常に私たちの側にいて、法にのっとった知恵や指導、助言、そして慰めや励ましをも与えてくれます。聖霊様は神様の前における私たちの歩み方を弁護してくださる助け主なのです。

 

2.真理への指導を受ける(ヨハネ16:13)

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」

 私たちは神の国の真理について知らないこと、悟っていないことが多くあります。聖霊様は私たちが真理に入っていけるように、真理が身につくようにと指導してくださいます。

 

3.御霊の賜物を付与(Ⅰコリント12:11)

「しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」

 Ⅰコリント12章に書かれてある9つの賜物は人間の能力の賜物ではなく、御霊が与えてくださる超自然的な力です。「おのおのに」「それぞれの」とありますから、どれか一つの賜物はみんなに与えておられるようです。どの賜物であるかは、「みこころのままに」ですから、私たちの側にその理由や資格があるのではありません。
9つの賜物以外の自然的な賜物、生まれつき与えておられる能力や力、身分、持ち物なども、クリスチャンは神の賜物として考えますが、ここに書かれてある9つの賜物は、神様の働きを証明するための超自然的な賜物のことを言います。
 私たちペンテコステ教会では、預言、異言、異言の解き明かしを伝統的に集会の中で現わしています。そしてその中で「癒し」「悪霊の追い出し」などの奇跡が起こることもあります。これは牧師の仕事というのではなく、信徒の内にも分け与えられている聖霊様の証印に付随した賜物なのです。これが欲しいと自分が選ぶものではありませんが、パウロは「賜物を求めなさい」と言っています。特に、「人々と教会の徳を高めるために預言の賜物を求めなさい」と語っています。きよいから奇跡的な力を与えられてその働きが出来るのではありません。神のみこころ次第です。信仰による御霊を受けた者たちに与えられる賜物であるということが出来ます。

 

4.復活の力を行使できる(ローマ8:11)

「もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」

「死ぬべきからだをも生かしてくださる」というところに、復活の力を行使できる特典が与えられていることを知ることができます。病の癒しや死人のよみがえりもその中に含まれているでしょう。また、肉体的な問題だけでなく、否定的になり不信仰になっている私たちの精神的状態、霊的状態に対しても、御霊は私たちに復活の力を与えてくださいます。それによってもう一度立ち上がることが出来るように、死を打ち破るように、死を支配するように、そのような復活の力を与えられているというしるしにもなるのです。 バッジ(聖霊の証印)は私たちの身分証明であって、私たちが何者であるかという、神から与えられたしるしです。私たちに実力があるからではなく、神様が選んで、そのバッジを与えてくださったのです。ですから、私たちはそれを自覚して、どんな状況に落ち込んでも、イエス様が死からよみがえられたように、私たちもそこに復活の力を現わすことが出来るのです。聖霊様が私たちの内におられて、神の子としての身分証明があるから、死の力、闇をイエスの名によって退けることができるのです。
 自分を見ないで、与えられている聖霊の証印バッジを信じて、復活の力を宣言していくということが大事なことです。それが、信仰による歩みです。現実は力がなく、神の子としてふさわしくないかもしれません。しかし、「神が与えてくださった聖霊様がともにおられるのなら」というところに信仰をもって、前向きな告白をするのが、私たちの信仰による歩みです。
 前向き肯定的な発想と言動が出来る裏付けとなるのが聖霊の証印です。その聖霊の証印の特典の一つとして、異言を語り賛美し、預言を語る、そして癒しや奇跡、霊を見分け、悪霊を追い出すという力が与えられていますので、私たちはもっともっと使っていく必要があります。
 最初は何も起きないように見えますが、未来に起きる約束を信じて、現実の見える状態が変えられていくことを信じて待つ、という信仰の試みを受けて、鍛えられて、復活の力を身につけていくことができるのです。 
 パウロは福音宣教に大きな困難と苦しみを伴いましたが、それは死の状態のところに彼が復活の力を現わして、神は生きておられ、神の言葉が事実であることを人々に証明するためでした。ですから、私たちも神の賜物を現わすという中で、試練や苦しみや困難が多くなるのは、復活の力が現わされるためと言えると思います。

 

5.親子になる(ガラテヤ4:6)

「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」

 私たちは神様を「天のお父さま」と呼んでいます。「アバ」というのは、子が親を呼ぶときの親しい関係の言葉です。小さい子供が「パパ、ママ」と呼ぶあの関係、信頼と甘え、心のつながりのある関係です。愚痴や文句を言うこともあります。御霊が私たちの内に証印としておられる時、私たちは遠慮なく神様に親子のように甘えることができるのです。
 実際の父親像が悪いと、天の父、神様に対しても距離を感じてしまうことがあります。しかし天の神様は私たちを全面的に受け入れてくださっておられますから、安心して甘えて近づいていきましょう。

 

6.騎士の称号を受ける(エペソ6:17)

「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」

 (エペソ6:17)は、神の武具について記されてあるところの一節です。神の武具をすべて身につけて戦いに出ることはすばらしいことです。その時に騎士という称号をいただいている自覚は、大きな力となります。その人は、その称号のゆえに勇気を奮い立たせ、誇りを持って戦いに臨み、死を恐れることなく突き進むことができます。
 また西欧では力強さや勇士の象徴として剣が与えられます。戦いに出たときは、その力強さのゆえにリーダーとして回りの兵士から尊敬を受け、皆がその指導に従ってきます。聖霊の証印を押されるとは、同時に神の国の騎士としての称号を与えられて、剣を持って闇の力と戦う勇士であることの証明になります。
 私たちの戦いの武器は、「御霊の与える剣」、この剣一つです。帯、胸当て、靴、盾、かぶと、と神の武具はいろいろありますが、これらは防御のためのものです。闇に向かって切り込み戦い進むための武器は、御霊が与える剣です。私たちは闇に向かって戦い進んでいく騎士なのです。
 皆さんは聖霊の証印を与えられ、身分証明証を与えられただけでなく、戦いのための騎士の称号を受けて、みことばの剣を与えられて勇敢に戦う主の勇士です。みことばを自由に使えるものになるように、生活の中で訓練していっていただきたいと思います。

 

【デボーションポイント】

聖霊様の特典をとおして、父なる神様の「情緒纏綿」(じょうしょてんめん)を知る。

「情緒纏綿(じょうしょてんめん)」の意味
情感の深いさま。情愛が深く細やかで離れにくいこと。

 神様の証印の特典を見ると、「私たちから離れたくない、私たちを手放したくない」という神様の深く細やかな情愛、お気持ちが深く感じられる気がします。私たちも情緒纏綿を現し合う兄弟姉妹となりたいものです。それによって教会も霊的に成長し、キリストの再臨を迎えるにふさわしいものへと変えられていくのではないでしょうか。

 

【俳句】

 薫風に  メシヤの恩典  感じ入る

 罪深い私たちはキリストを通してどれほど有難い処置、情け深いとりはからいをしていただいたことでしょう。それを忘れてはいけません。

 今、山々の新緑の香りが風に運ばれてくる季節です。大自然の恵みを薫風の香りに乗せて味わうことのできる、なんと素晴らしい救いを私たちは与えられていることでしょうか。イエス様の救いの恵みを有難く感じ入るこの頃この季節です。