Devotion note

新しい人を着る歩み【4】

『敬虔なキリストを着る』



ヘブル5:7
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

●御霊によって歩む→新しい人を着る歩み→キリストを着る
●キリストを着るとは、「主権者の服」を着せられること
●主権者の服は、裸をおおう「白い衣」
●白いキリストの衣は、「敬虔の衣」

Ⅰ.イエスの敬虔さ

◉ヘブル5:7は、イエスが十字架にかかる前日の夜に、
 ゲッセマネの園で祈られた時のことを語っている。

(マタイ26:39)
それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

★メシアとして罪の贖いのために苦しみを受ける使命を取るか、
 肉の体を持っている一人の人間として死の苦しみを避けたいと
 いう個人の願いを選ぶか!

★33年間の純潔さを罪人たちのために汚されなければならない
 一人の人間としての葛藤。

【デボーション】
イエスの敬虔さは、「父なる神様、あなたのみこころのように、なさってください。」という告白の中に表されている。イエス様にどのような心の思いがあったのでしょう。
 

Ⅱ.イエスの敬虔さを着るとは?

(第1ペテロ2:19~20)
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

【デボーション】
理不尽なことを体験することの多いクリスチャン人生です。「父なる神様。あなたのみこころのようになさってください」と祈れるように、父なる神様の偉大さを体験しましょう。
 

【みことば川柳】
敬虔の 奥義の衣 イエスなり