信仰の薄い人

 
聖書のマタイの福音書のなかで「信仰の薄い人」が4回記されています。



(1)きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。〜マタイ6:30〜

(2)イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。〜マタイ8:26〜

(3)そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」〜マタイ6:30〜

(4)イエスはそれに気づいて言われた。「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。〜マタイ8:26〜
 
 

あなた自身、どういう時が信仰の薄い時だと感じますか。
 

今、冬期オリンピックで日本の選手が活躍しています。選手の中で幾人かは、致命的といわれるような事故や怪我をおいながら、オリンピックへと目標を定め、どん底の苦難から出場しています。彼らはなぜ、自分の意志を強くし、感情を立て直し、考え方を変えて出場、そしてメダルへと到達できたのでしょうか?確かに能力は私たちとは大きく違いがありますが、心の面では同じ動きをしているといえます。

私たちは、目標、目的から心が外れた時、信仰が薄くなります。つまり、意志を強くして、考え方を整え、感情を立て直すことができなくなるのです。

私たちは何の為に今していることをしているのでしょうか?オリンピック選手は、オリンピックに出場するというはっきりとした目標を設定した時に、苦難から立ち上がって、練習へと励み、また、そのような姿勢を見て協力者もおこされてくるのです。

では、あなたの目標は何ですか?客観的、理性的観点から、すなわち正しい良心から目標、目的を見いだす時、信仰の薄い状態ではなくなります。

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。〜ローマ12:17〜18〜

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。〜ローマ12:10〜

 
神さまは私たちに自分に関する限り平和を、また尊敬を持って互いに愛しあうように教えてくださっています。目標を持つとやる気が出てきます。
私たちは自分のできることにチャレンジし、努力していきましょう。
神さまは私たちに不可能を置かれるかもしれません。しかし、その時は、私たちの力以上の部分なので、神さまの栄光が現されます。

あきらめない限り、必ず変わってきます。
 

 2010.2.23 ジーザスフェローシップ広島ハンナ会 辻 秀彦 牧師 より