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2025 devotion

敬虔の源



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Ⅰヨハネ4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

Ⅰ.『敬虔』は湧き上がってくるもの

【主題聖句より】
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し」

◉世界の基の置かれる前からキリストにあって愛してくださった。
(エペソ1:4)
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

【デボーション】
幼子は親に愛されていることの自覚がありません。
いつ頃から親の愛に気がつくのでしょう


 

 

Ⅱ.まとめ

《罔極》(もうきょく)の意味
限りがないと意味から、報いることができないほどの限りのない愛のこと。

【主題聖句より】
私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

【デボーション】
キリストによる罪の贖いは、報いることのできないほどの神の愛が明らかにされた出来事です。

心でその愛に気付いたなら、あなたの心にどのよう変化が起こってくるでしょう?

【神への敬虔の表明としての聖餐式】
(Ⅰコリント11:23〜26)
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

 

【みことば川柳】

十字架の 無限の愛に 畏敬の念

 

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