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2024 devotion

律法に勝る御霊による歩み



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ガラテヤ5:18
御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。

 

◆律法(ガラテヤ3:19)

ガラテヤ3:19
それでは、律法とは何でしょうか。それは、約束を受けたこの子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたものです。

・モーセの律法(割礼など)
・救いの必要性を指摘するのに役立つが、守る=救いではない。

ガラテヤ3:24
こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。

 

 

◆肉のわざと御霊の実

ガラテヤ5:19〜23
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。

肉のわざは神の国を相続できない。
御霊の実に反対する律法はない。

律法を送られた神は、御霊も送られたので、御霊に満たされた人生は、神の律法の意図に完全に調和している。
 

 

◆まとめ

御霊による歩みには、罪と、律法に従うことによって義とされるという試みから解放される真の自由がある。御霊の実を表す人は、律法を行いながらも心の中に愛がない人よりもしっかりと、律法に従うことができる。
 

 

◆デボーション

・律法(固定概念)が偶像になっていませんか?
・御霊による自由な教会像を描いてみてください。

 

 

 

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