(1)肉において現れ
ピリピ2:6〜7
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
A)神の御姿から人間と同じようになられた
B)神の在り方を捨てられた
C)仕える者の姿をとられた
(2)霊において義と宣言された
ピリピ2:8
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
十字架の死に至るまで信仰による義をまっとうされた
ヘブル5:7
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
死からの救いのために、敬虔な信仰からの叫びと涙の祈りと願いが聞き入れられた
(3)御使いたちに見られ
ヘブル2:9
ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
御使いたちよりも脆弱な姿となられた
(4)諸国民の間に宣べ伝えられ
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
信じる者たちのために、あらゆる人々に伝えられた
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