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2023 devotion

神の霊によって生きる


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創世記2:7
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

神の息→神の霊→神のことば
人は神のことばによって生きる

 

御霊の注ぎを受ける

ヨハネ7:37〜39
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

御霊はいのちが、溢れ湧き出る水のように表現されている。
水は動植物には欠かせないもの。
御霊も人にとって欠かせないもの。

 

 

賜物として聖霊を受けとる

使徒2:38
そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

いのちを保ち、生きるために与えられた「食物」と「水」は、神からの賜物であるように、聖霊も永遠のいのちのための神の賜物である。
 

 

聖霊を受ける大切さ

1)御国を受け継ぐ保証
(エペソ1:13〜14)
この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

 ●心に信じたしるしが聖霊
 ●御国の相続人であることを保証

2)心の割礼
(ローマ2:28〜29)
外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。

 ●ユダヤ人=神が選ばれた御国の民
 ●割礼=信仰による義のみえる証し

新生と義認の見えるしるしが御霊の実
 

 

聖霊の実と肉の行い

ガラテヤ5:19〜23
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

肉の人・古い生き方
 15以上の肉の行い
 罪が宿っている

新創造・新しい生き方
 9つの御霊の行い
 賜物としての聖霊が宿る

御霊が宿れば9つの実が存在する
 

 

父なる神の約束であるキリストの証人としての聖霊のバプテスマを受ける

使徒1:4、5、8
彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 ●賜物である御霊は神の約束である
 ●証人としての必要な力が注がれる
 ●肉に宿る罪の働きを打ち砕く力

聖霊の9つの実が肉にまでおよぶキリストの姿を表す聖霊のバプテスマ
 

 

デボーションポイント

◎受けとることを妨害するもの
 1)永遠に対する無関心(不敬虔な態度)
 2)必要度が低い
 3)心が聖霊以外で満たされている

◎今が主を求める時(ホセア10:12)
あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。

互いに赦し合うことが、御霊の実の見えるしるしとなる。
 

 

聖霊を 受け取るために 十字架の

愛を信じて こころを開く

 

 

 

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