第1ペテロ1:8
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
信仰による希望の輝き
1.いま見てはいないのに、信じているとは?
1)ヘブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
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成就していない約束を信じることが、主イエスへの信仰である。
「約束を必ず守る」御性質を持つ神。
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2)ローマ8:24〜25
私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
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目で見えていないからこそ、希望を抱いて約束を待つのである。
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3)第2コリント4:18
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
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見えていない約束は変わることはない
約束は、成就するまでは変わることのないものである。
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4)ローマ15:12〜13
さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
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望みのない異邦人である私たちへのこの約束は、やみに輝く光である。
永遠の望みを与えてくださる約束を信じることができるのは、十字架のゆえ。
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2.いま見てはいなけれども、信じているものとは?
1)第2ペテロ3:13〜14
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。
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正義の住む新しい天と地が実現する
贖いの約束が成就。だから待ち望む。
平安をもって励む姿が輝きとなる
希望ある信仰が平安をもたらし、新天地に入れられるにふさわしい生活を励む。
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2)ピリピ3:20
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
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母国に帰るために、主イエスが迎えに来てくださることを待ち望む。
贖いの約束が成就。だから待ち望む
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3)ローマ8:23
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
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肉の思いから解放され、新しいからだがあたえられることを待ち望む。
贖いの約束が成就。だから待ち望む
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3.結論
主を待ち望む「鶴立企佇」の姿が輝きとなる。
待ち遠しく思うこと、待ち望むこと、首を長くして待つ
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「鶴立企佇」(かくりつきちょ)
鶴が立っている姿のように首を伸ばし、つま先立って待ち望むという意味から。
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