2020 devotion

へりくだりと聖め

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ヨハネ9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

 

「へりくだり」は聖められる過程のひとつである。

  

1.罪汚れへの考え

A)旧約社会(ヨハネ9:2、34)
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。

 身に欠陥のある者は罪人であり汚れている
 

B)キリストの教え(ヨハネ9:3)
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

 欠陥のある者(罪人)は神のわざが現れるために生まれた。
 

 

2.聖い「へりくだり」

A)ヨハネ9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

 見える=罪人ではないという高慢
 見えない=罪を自覚、自己受容
 

B)ピリピ2:3
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

 自己中心や虚栄=高ぶり、高慢
 互いに人を自分よりすぐれた者と思う=聖いへりくだり

 

【デボーションポイント】

(第1テモテ1:15)から、パウロのへりくだった心について考えてみましょう。
 

第1テモテ1:15
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

 

【俳句】
    泣きやまぬ 雨蛙のよう 主を求め

 


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