その人が目標に至るのを待ち続ける忍耐。たとえ時間が過ぎても完成するまで待ち続けてくださる神は、私たちにとって救いである。
第2ペテロ3:15a
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。
1.時はすでに過ぎている
ルカ13:6〜9
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
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いちじくの実⇒悔い改めて、神のもとに立ち返るたましい。
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2.主は何を持っておられるのか
第2ペテロ3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
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「おそいと思う」⇒神の存在を否定する不敬虔につながる。
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「滅びることを望まず」⇒滅ぼすことが目的ではない。
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「悔い改めに進む」⇒人々の不敬虔の心が変わること
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【デボーションポイント】
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隣人への「寛仁大度」(かんじんたいど)は、その人が救われるためである。
★「寛仁大度」の意味
心が広くて、度量が大きく、慈悲深いこと。
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