2019 devotion

到達を待つ忍耐

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その人が目標に至るのを待ち続ける忍耐。たとえ時間が過ぎても完成するまで待ち続けてくださる神は、私たちにとって救いである。

第2ペテロ3:15a
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。

 

1.時はすでに過ぎている
ルカ13:6〜9
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」

いちじくの実⇒悔い改めて、神のもとに立ち返るたましい。
 

ぶどう園の番人⇒救い主イエス・キリスト
 

番人の忍耐は、あわれみによるもの
 

 

2.主は何を持っておられるのか
第2ペテロ3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

「おそいと思う」⇒神の存在を否定する不敬虔につながる。
 

「忍耐深い」⇒すべての人への深いあわれみ
 

「滅びることを望まず」⇒滅ぼすことが目的ではない。
 

「悔い改めに進む」⇒人々の不敬虔の心が変わること
 

 

【デボーションポイント

隣人への「寛仁大度」(かんじんたいど)は、その人が救われるためである。
  ★「寛仁大度」の意味
   心が広くて、度量が大きく、慈悲深いこと。
 

 

【俳句】
    思い出す  口癖のことば  母の日に

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