2017 devotion

神の愛に応える望み

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第1テサロニケ1:10
また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。

 

1.「望み」とは

ローマ8:24b
目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

★目に見える望みは、望みではない。
★目で見ていること、すなわち、叶えられたことは望まない。
 

2.(ローマ8:23〜24a)

ローマ8:23〜24a
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。

★キリストを信じたことによる内なる葛藤は、救われている証拠。
★「望み」は、葛藤から生まれてくる。
★葛藤の原因は、肉のからだからくる「欲望」である。
★キリストの再臨は、肉のからだからの解放の時。
 

3.迎えに来られるのを待ち望む

ローマ8:25
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

★主は、私たちを愛しておられるので迎えに来られる。
★私たちも主を愛しているので、再臨を待ち望む。
★肉体からの解放の時が再臨である。
★その時を信じて、忍耐強く熱心に待ち望む。
 

【デボーション参考ポイント

(ヘブル11:1)との関連を考えてみましょう。
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

 

「戢鱗潜翼」(しゅうりんせんよく)→ 大望を抱き、時機を待つこと。

★からだが贖われる再臨の時を、見逃さないように忍耐強く待つこと。

 
 

 

【俳句】
    みことばは  世に滴りし  いのちの水

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