マルコ1:40〜42
さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。
1.ツァラアトが象徴していること(民数記12章)
|
しかし主はモーセに言われた。「彼女の父が、彼女の顔につばきしてさえ、彼女は七日間、恥をかかせられたことになるではないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかなければならない。その後に彼女を連れ戻すことができる。」
【内容観察】
|
モーセに対する批判は、神の権威と秩序を冒涜することに等しい。
それは、子が父をないがしろにしたことと同じ。
懲らしめとして七日間、恥を受けることになる。
それは、家族から締め出され、人々に恥をさらすことを意味する。 |
【デボーション参考ポイント】
|
神が立てられた権威と秩序を軽んじ、天の父の威光と尊厳をないがしろにしていないだろうか。 |
|
2.『芝蘭之交』に招かれた(第1コリント1:9)
|
神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。
『芝蘭之交』(しらんのまじわり)の意味
|
徳のある人と親しく付き合うこと。良い人と付き合えば、知らないうちに感化されて、自分も善人になるということ。 |
【内容観察】
|
(1) 真実な方の招き
(2) 神は、罪人である私たちと交わりを持つことを願われている
(3) 徳の高い神の御子の良い影響を受けることができる交わり
(4) 入らせていただいている恵み |
【デボーション参考ポイント】
|
神との交わりができるように聖められていることをありがたく思い、良い影響を受けるほどの交わりを深める。 |
|