エゼキエル47:1、9
彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。
この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。
★『枯樹生華』(こじゅせいか)の意味
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枯れ木に花が咲く意から、非常な困難のさなかに活路を得ること。また、老い衰えた人が生気を取り戻すたとえ。 |
(1)水は神殿のどこから流れ出ていますか?
(2)この水が川となって入るところはどうなりますか?
(3)第1ヨハネ2:2
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この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。 |
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★祭壇はいけにえがささげられるところです。本来は何が捧げられなければならないのでしょうか? |
(4)第1ヨハネ4:10
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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 |
(5)ヨハネ11:25
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イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 |
【デボーション参考ポイント】
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★新約時代の私たちにとって「この川の流れ行くところはどこでも生きる」ということは、どのようなことでしょうか? |
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