2013 devotion
   
愛にとどまる

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第2ヨハネ1:9
だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。

 

1.主題聖句より

第2ヨハネ1:9
だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。

【内容観察】

互いに愛し合うというキリストの教えにとどまらないで、人々の関心を引くために他のことを強調する教えをする者は、誰でも神の存在をうちに宿してはいません。互いに愛し合うという終着点に定住している者は、愛そのものであられる御父と御子の存在をうちに宿しています。

【敬聴と適用】

互いに愛し合うという終着点に定住している生き方について考えましょう。

2.『属毛離裏』(ぞくもうりり)

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

★『属毛離裏』の意味

親と子の関係の深いこと。
子が父親を手本とし、母親に愛育されて成長することをいう。

【内容観察】

愛の源である創造主とその方に似せて造られた人とは、ぶどうの木とその枝のように深い関係にあります。人が創造主からの愛を受け入れ続け、愛の源である創造主もその人に永遠の愛を注ぎ続けるなら、そういう人は愛をする生活の結果を見ることができます。愛の源である創造主を離れては、その創造主に似せて造られた人は何の愛の結果も生み出すことができないからです。

【敬聴と適用】

親子の深い関係を、ぶどうの木とその枝から考えてみましょう。

 

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