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ヨハネ9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
★『魚質竜文』(ぎょしつりゅうぶん)の意味
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実質は魚であるのに、外見はあたかも竜のように見えること。転じて、正しいように見えて、実際には間違っていることのたとえ。また、表面は立派に見えるが、内実は無いことのたとえ。 |
【内容観察】
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★「盲人であったなら、罪はない」
目が見えないことを自覚している者は、自分を偽っていない。
★「私たちは見える」というものは、罪が残る。
罪を認めない⇒悔い改めることができない⇒罪は残る |
【敬聴と適用】
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重要なポイントは、罪を認めない、罪の自覚がないことである。
ヘブル9:14が『魚質竜文』を砕く
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。 |
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