2011  devotion

愛を否定する

 

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第1ヨハネ2:22
偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。


1.『反キリスト』について

ピリピ3:18
というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

★(第1ヨハネ2:22)⇒御父と御子を認めない
神の愛を認めない。私達に愛を注いでくださっている神を認めない。

★十字架の敵として歩む
欲望を神としている。地上のことだけにその思いがある。

【内容観察】
多くの人々が、神が人間を限りない愛をもって愛していることを示された、ひとり子イエス様の贖いの御業である『愛』に対して、受け入れず反発し、背を向けて生きている。

【敬聴】
反キリストの仲間に引き込まれていないかを吟味してみましょう。

2.世の終わりの愛

マタイ24:12
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

不法⇒規則に従わない。無秩序。放縦。貪欲に従う。自己中心。
はびこる⇒一般化している。常識化している。
愛は冷たくなる。⇒個人主義の社会

【内容観察】

 

【敬聴】
「愛を否定する」ことについて、どのようなことに気づかされますか。

3.『安宅正路』あんたくせいろ

テトス3:3〜6
私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。

★『安宅正路』の意味
慈しみの徳の「仁」と、信頼の徳の「義」のたとえ。
「安宅」⇒住み心地の良い家。仁を安らかな身の置き所にたとえる。
「正路」⇒人の踏み行なうべき道という意から、義のたとえ。
『仁は人の安宅なり、義は人の正路なり。』

【内容観察】
以前は、私達も反キリストの仲間でした。しかし、十字架に現わされた神の愛によって新生と更新の洗いを受け、今は安宅正路の人生を歩んでいるのです。その聖霊は今もイエス様によって豊かに注がれています。

【敬聴】
このみことばから、「愛を否定する」ことについてどのようなことが教えられますか?

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